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蝕に攫われた春 【十二国記 延王】

第1章 海客の少女


風漢はの手を引き、再び妓楼の門を潜った。
女将の前に行くと、彼は懐からずしりと重い革袋を取り出し卓に叩きつけた。




『女将。この娘を身請けしたい。手持ちの金はこれですべてだ。これで手を打てくれ』



女将は一瞬金の重みに目を輝かせたが、すぐに鼻で笑って首を振った。



『冗談じゃないよ。こんな金蔓、そう簡単に手放してたまるかい。この娘の歌声がどれだけの富を生むと思ってるんだい』


『……この娘は海客だ』



風漢の声が低く、威圧を帯びたものに変わる。



『本来ならしかるべき場所……冬官府の保護下に置かれるべき存在だ。言葉も分からぬ娘を囲い込み、商売道具にするのは法に背くことなんじゃないのか?』



だが、女将はひるまなかった。



『法だって? 笑わせるんじゃないよ! 死にかけていたこの娘を拾い上げてやったのは誰だい? 飯を食わせ、着る物を与え、助けてやったんだ。恩返しをするのは当然だろう。それに、今はもう男に抱かせるような真似はさせてない。歌さえ歌ってれば綺麗なべべを着て、美味い飯を食える。感謝してほしいくらいさ!』



女将にしてみれば、それは彼女なりの「慈悲」ですらあるのだろう。
だが、そこにの意思はない。
彼女の心を置き去りにしたまま、二人の間では激しい言葉の応酬が続いた。



言葉の分からないには、二人が自分のことで争っていることしか伝わらない。
女将の剣幕に、あの暗い部屋に閉じ込められる未来を想像して身を震わせた。



「……チッ、拉致が明かねえな」



風漢は女将の頑固さに呆れたように息を吐くと、怯えるの視線に高さを合わせた。



「すまない。今すぐ連れて行ってやりたかったが……少し、手順を踏む必要があるようだ。ここの女将は、あんたを簡単に手放したくないようだ」


「……あ、あの……」


「大丈夫だ、心配するな」



風漢はの手をぎゅっと握りしめた。




「必ずここから助け出す。だから、もう少しだけ、ここで待てるか?」


「……置いて、いっちゃうの?」



の瞳に、深い孤独と絶望が影を落とす。
また、誰も自分の言葉を理解してくれない日々に戻る。


そう思うだけで、足元が崩れ落ちそうだった。



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