第1章 海客の少女
「これ一枚で、街がひっくり返りますよ。たかが身請けに、王の勅命など……。主上、正気ですか」
「正気だ。あの女将は金じゃ動かん。だが、延王(おれ)の言葉なら背けまい」
尚隆はニヤリと不敵に笑った。
朱衡は、尚隆が書き上げた勅令を机に叩きつけるように置くと鋭い瞳で主を射抜いた。
その背後には、積もり積もった「主上の放蕩」への怒りが黒々と渦巻いている。
「なんだ朱衡、そんなに怖い顔をするな。俺が自ら迎えに行けば、あの強欲な女将も腰を抜かして即座に引き渡すだろう?」
「それが一番の問題なのです」
朱衡の怒声が職務室に響いた。
「王が直々に妓楼へ女を迎えに行くなど、前代未聞です。街はパニックになり、翌朝の市には『延王、色に溺れて妓楼を襲撃』とでも触れ回られるでしょう。よろしいですか、今回の件を引き受けるにあたり、いくつか条件を出させていただきます」
「条件だと?」
「娘のお迎えには私が行きます。主上、あなたは一歩も宮を出てはなりません。王の威光を傘に着た暴挙ではなく、あくまで『法に基づく保護』として、私が事務的に処理して参ります」
「おいおい、俺が助け出すって約束したんだぞ? 恩を売るチャンスを奪うなよ」
「黙り下さい……もう一つの条件ですが、その娘を無事に宮へ連れ帰った後……主上および台輔は、溜まっている職務をすべて終わらせるまで、その娘への面会を一切禁じます」
「なっ……! それはあんまりだろう! 彼女は不安な思いをして待ってるんだぞ。言葉のわかる俺が行ってやらないでどうする」
「言葉なら仙である我々も通じます。いいですか、この条件を飲めないと言うのなら、私はこの勅令を今すぐここで破り捨て、明日、その妓楼を『不法な海客の囲い込み』の罪で強制捜査し、件の娘は別の州へ転送します」
「……お前、それはもはや脅しじゃないか?」
尚隆が顔を引きつらせるが、朱衡は一歩も引かない。
むしろ、その微笑みはさらに深く冷徹なものへと変わっていく。
「出奔癖のある王と麒麟。我々官吏がどれほどの苦労をしてこの国を回しているか、少しはその身で理解していただく良い機会です。……さあ、どうされますか?」
尚隆はしばらく朱衡を睨みつけていたが、やがて「……チッ」と大きく舌打ちをして椅子に深くふんぞり返った。