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蝕に攫われた春 【十二国記 延王】

第1章 海客の少女


玄英宮へと戻った男、風漢改め尚隆の足取りは速かった。
深夜、普段ならとうに寝所に引き上げているか、酒で管を巻いているはずの男が、一直線に職務室へ向かい硯に墨を擦り始めた。



「……ゲッ、尚隆が自ら職務に取り組むなんて、明日天変地異でも起きるのか?」



執務室の窓枠に腰掛け、面白そうに覗き込んできたのは、延麒・六太だった。
尚隆は答えず真剣な面持ちで筆を走らせる。
その手元にあるのは、王の権威を示す勅命の書状だ。



「珍しいな。お前がそんなに真面目に書状を認めるなんて。どこかの役人にでも雷を落とす気か?」


「……少々、面白い女に出会ってな……」



尚隆は筆を止めず、口端をわずかに吊り上げた。



「面白い女? またどっかの店で入れ込んで振られたのか」


「振られたんじゃない。買おうとはしたんだが、売ってもらえなかった。海客の娘だ。蓬莱の歌を歌うんだが、その歌がまた……」


「海客?」



六太の目が微かに揺れた。
同じ蓬莱から来た者として、その言葉は無視できない。



「そうだ。言葉も通じないのをいいことに、女将が囲い込んで、客寄せのパンダにしてやがる。金で解決しようとしたが、あの強欲ババアめ、首を縦に振らない。だからこうして、『勅命』の書状を書いてるわけだ」


「そんなにいい女なのかよ」


「ああ。とても美しい娘だった……俺たちと同じ蓬莱の娘だぞ。放っておけるか?」


「……へえ」




六太は窓からひょいと降りると、尚隆の手元にある書状を横から覗き込んだ。



「そいつの名前は? その店はどこにあるんだ」


「蓬莱での名は知らんが、流花と呼ばれていた。東の港町近くにある『海陽楼』って店にいる。明日にでも、役人を引き連れて正式に向かうつもりだが……」


「明日? そんなの待てるかよ。お前がそんなに肩入れする女、どんなツラしてるか拝みに行ってやる」


「おい、六太! 待て、職務はどうした!」



尚隆の制止も聞かず、六太は「お前が言えたことかよ!」と言い捨てて、夜風と共に窓から飛び出していった。




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