第1章 Under the rader
標的への強制捜査を翌日に控えた警視庁公安部。フロア全体に、嵐の前の静けさのような異様な緊張感が漂っていた。
「松本、明日の配置だが、君は僕のバックアップに入ってくれ。……絶対に、無理はするなよ」
櫻井が、いつもの「理想の先輩」の顔で松本の肩に手を置く。その眼差しはどこまでも甘く、慈愛に満ちていた。松本はその温もりにすがりたい衝動と、懐に隠した証拠の重さの間で、吐き気を感じるほどに葛藤していた。
「……はい、櫻井さん。死ぬ気で、ついていきます」
松本の言葉に、櫻井は満足げに目を細め、その柔らかい髪を指先で整えた。その仕草に周囲があっけに取られる中、櫻井は備品整理を口実に一人で医務室を訪れた。
そこには、顕微鏡から顔を上げ、気だるげに欠伸をする二宮がいた。
「あら、翔ちゃん。決行前のお別れですか? それとも遺言の代筆?」
二宮の軽口に、櫻井は苦笑して壁に背を預けた。
「……縁起でもない。万が一、俺に何かあったら、潤のケアを頼む。あいつは、……真面目すぎるから」
二宮は一瞬、顕微鏡を覗く手を止めた。そして椅子を回すと、いつもの皮肉めいた笑みを消して櫻井をじっと見つめた。
「翔ちゃんがいなくなったら、俺も寂しくなるなぁ。……こんなに面白い男、他にいないもん」
「……お前、そんな可愛いこと言うんだな」
櫻井がからかうように言うと、二宮の白い頬が瞬時に染まり、耳の付け根まで真っ赤になった。二宮は慌てて顔を背け、乱暴に資料を机に叩きつける。
「……うるさい。仕事が減って退屈だっていう意味ですよ!」
櫻井はその反応に声を立てて笑った。だが、二宮は再びこちらを向くと、今度は潤んだ瞳で、ひどく傷ついたような表情を浮かべた。
「……結局、俺じゃダメだったんですもんね」
ぽつりと漏らされたその言葉に、櫻井は絶句した。二宮の瞳が揺れる。
「……二宮、お前……?」
「いいですよ、別に。……あの純粋すぎる潤くんに、アンタの『偽物の愛』を全部注ぎ込んであげればいいじゃないですか。バレたら、二度と会えなくなるんだから」
二宮の言葉は、櫻井の急所を正確に射抜いた。戸惑い、かける言葉を失った櫻井に、二宮はいつもの冷めた笑みを無理やり張り付けて、しっしと手を振った。
「ほら、さっさと行ってください。俺の元から消える前に言っときたかっただけですから。」
