Wild Flower【ガチアクタ/ザンカ/現パロ】
第10章 ワンスモア・ワンダーランド
同じ場所でも温度が変わると伝わる感覚も変わる。昼間の客の息遣い、空気の揺れ、音楽も相俟って暖色に見えていた店内は、灯りを落として気配が消えるとこんなにも冷たく、そして清く澄んでいる。
その高低差が、なんだかパンドラの箱を開けた気分になってゾクゾクした。
「はいよ」
「ありがとうございます」
「なんか気になるか?」
「いや、静かになると、こんなに雰囲気違うんだなって。初めて来た場所みたい」
「あー、たまーに1人で夜仕込みしてると冷蔵庫の音にびびる時あるわ」
わかる。自宅でもコンプレッサーの音が心臓に悪すぎて目が冴えるんだよね。夜中に聞いちゃうと特に。
薄暗い店内にはエンジンさんと2人。挽いたばかりの豆で入れてくれたブレンドを、わたしの前に置いてから隣に座る。こないだの餃子のタッパーなんていつでも良かったのに、熱烈な感想付きの連絡を貰ってしまえば、その後のヒマなら取りに来いよ、はどうしたって断れなかった。
「で?最近どうよ」
「どう、とは?」
「水族館からこっちの話。あんまり顔出さなくなっただろ?」
「あー、」
「アイツとなんかあったのかと」
渋った理由が明確に、その好奇心とも心配とも取れるような絶妙なニヤけ顔のエンジンさんから放たれた瞬間、数十分前の自分を殴りたくなった。どうして断らなかったのって。
わたしがどう切り返すのか、タバコに火をつけた彼がじっと黙ったまま、くゆる紫煙は天井を白く濁し続けてる。
きっとこの人は、あの水族館の夜にはもう全部知っていて、状況も把握しているくせに敢えてわたしの口を滑らそうとするんだ。その狡猾さに抵抗は無意味だと悟って、だったらもう洗いざらい彼にも話してしまったほうが賢明だと思った。
「仕事忙しくて死んでました」
「へぇ、……それだけ?」
「あと考えすぎて死んでました」
「他は?」
「先のこと思って死んでました」
「瀕死じゃねぇか」
吐き出す息を堪えるような、もうどうしようもないな、みたいに肩を震わせて笑うエンジンさんには悪いけど、割と本気で睨んでみる。
そんなことをしても、この場の主導権がひっくり返らないのは十分わかってるけど、僅かばかりの抵抗だった。