第8章 会社にて
「ですが、その。実は僕は、数ヶ月前に結婚したばかりの新婚で」
「そうなのかい? それはおめでとう!」
「ありがとうございます。それでも配偶者とワークライフバランスを常に話し合っていますし、問題はないと思います」
そこまで話してくれた彼にヴィクトルは素直に感心した。幹部候補なため採用されれば公私ともに関わることも増えるだろう彼の、真摯な人間性に触れた気がした。
「君は偉いなぁ。けどあまり無理しないでくれ。実は俺もしばらく前に彼女が出来てね。自分が新婚だったらきっと早く帰りたくなるよ。⋯まあもちろん君の働きには期待しているから、ちゃんと家族とも向き合って頑張ってね。仕事も大事だけど基盤は自分の生活なんだからさ」
理解を超えた共感を示してにこりと告げると、若者は驚いたようだが表情が年相応に明るくなる。
「はい、頑張ります! ヴィクトルさんもお幸せに」
「ふふっ、いいなその言葉。言っとくけど採用しても周りに言いふらさないでくれよ」
「言いません」
こうして笑いあった二人の面接は朗らかに終わった。ヴィクトルの直感と実感のとおり、役員による最終選考を通過した彼の採用は決まった。
朝の面接を終え、ヴィクトルはオフィスを出て開放的な廊下を歩いていく。モダンな本社ビルには役員共通の秘書が何人かおり、自分の担当の女性のデスク前を通りかかった。
彼女は年上のベテランで愛嬌のあるふくよかな秘書だ。
「ヴィクトル、お疲れ様です。次の役員会なんですが、社長の到着が少し遅れるようですよ」
「本当かい、わかったありがとう」
「それと、もうすぐお父様のお誕生日でしたね。こちらで送っておきましょうか?」
「そうだね。じゃあいつもと同じように適当に見繕って――」
立ち止まり、顎に手をやって考えていたスーツ姿の彼だが、ふと思いとどまった。
「いや。やっぱり今年は自分で選ぼう。ありがとうね」
「そうですか? わかりました」
彼女は微笑みを浮かべて了解する。なんとなく、瞳の細め方に見抜かれている気がした。長い付き合いである自分の変化を。
重要な仕事の配分は自ら決めるが、最近はゆとりある働き方に変えたことを秘書は気づいているだろう。