第17章 いい子 ※
「いや……、非常に大切な話なのだ」
少し視線を伏せてそう零す加茂さんの姿に、ナマエが不思議そうに首を傾げる。
そして気まずい沈黙の後、ナマエがこの部屋から出る気がないことを悟った加茂さんは、「……仕方ない」と独り言を吐くと、自ら室内へと入り込み、後ろ手で静かに扉を閉めた。
「今まで、”一目惚れ”というのは、幻や物語の中の偶像に過ぎないと思っていた。……だが、昨日君と出会った瞬間、私はそれが現実に存在するのだと理解した」
「え、」
「私は必ず、加茂家の次期当主になってみせる。将来、君に苦労はさせないことをここで誓おう」
加茂さんは直球どころか、逃げ場をすべて断つような勢いでアプローチを仕掛ける。
そして驚きで固まるナマエの元へと歩み寄ると、流れるような所作で小さな手を取り、 持ち上げた。
「私の婚約者となってくれないか」
そう告げた加茂さんは、固まったままのナマエの返答を一点の曇りもない表情で待ち続ける。
(………加茂さん、わざとやってんな)
ナマエが俺のものだという認識は、三日前に俺がつけた首の跡を見ている この人の中にもあるはずだ。
それなのに、わざわざ俺の目の前で宣戦布告のような言葉を紡ぎらナマエに触れる意味なんて、当てつけ以外に考えられない。
どうやってその手を引き剥がそうか──そんな思考が脳内を支配した、その時。
「………ごめんなさい、無理です」
微笑んだナマエが加茂さんの手を柔く押し返し、一歩後ろに距離を取ってハッキリと告げた。
「私には恵くんがいるので」
「……では、友達として、」
「友達になるのは大歓迎ですけど、私が加茂さんのお嫁さんになることは、絶対にありませんよ」
口元に弧を描いたまま、まるで幼い子供に言い聞かせるように呟いたナマエは、「それでもいいですか?」と念を押して問いかけた。
「……ああ、それで構わない」
一瞬視線を床へ落とした加茂さんは、観念したように小さく頷き、ナマエの慈悲深い譲歩を受け入れた。