第29章 信頼と恋敵
「紅海は座っててよ」
振り返りもせず言う
「今日は何もしなくていいから」
シンクに水が流れ始める
キッチンから漂ってくるのは、油の弾ける音と香ばしい匂いだった
豚こま肉を強火で焼きつけ、表面をカリッとさせる
そこへ彩りの良い夏野菜を投入する
火を止める直前、さっぱりしたタレを回しかけると、 一気に酸味と醤油の香りが立った
隣では味噌汁が静かに湯気を上げ、 きのこを軽く蒸したサラダが皿に盛られていく
「適当に作る」と言ったわりに、 栄養も消化も考えられた献立だった
紅海はソファに座ったまま、落ち着かず視線を動かしていた
本棚、低いテーブル、 物は少ないが
ここで生活しているんだろうなと思える途中で読みかけの本が置かれている
さっきの言葉がふと浮かぶ
「僕が出来ない時は、たまに、掃除して貰ってるしね」
――彼女かな
胸の奥に、小さな引っかかりが生まれる
私が疲れていたから呼んでくれた…でも、私が、この部屋にいるのって迷惑じゃないのかな…
あれ?そもそも、夜に男の人の部屋にお邪魔しちゃって良いやつ?ダメじゃない?
ずっと前に悟に、ダメだよ付き合ってもないのに…
とか一線ひいたくせに…この間から、私、軽すぎない?
もうちょっと考えてから行動しなきゃなのに!
悟の優しさに甘えてしまった!
視線を落とす…
「さ、食べようよ。どした?なんか、また落ち込んでたでしょ?」
振り向いたら、五条が皿を持ったまま立っていた
思考を読まれたみたいで、紅海は少し慌てる
『あ、いや…そ、そんなことは…』
有る!
テーブルに料理が並べられる
五条は自然な動作で向かいに座った
「ほら、冷めるよ」
『……悟』
「ん?」
少し迷ってから口を開く
『私、急に押しかけちゃって…大丈夫だった?』
一瞬だけ、五条が止まる
次の瞬間、軽く息を吐いた
「紅海さ」
箸を持ったまま、視線を上げた
「僕が嫌な相手、家に入れると思う?」
「むしろ…来てくれて助かった…」
『助かった?』
「うん、最近、買ったものか外食ばかりだったからね?」
そう言って、味噌汁を一口飲む
「だから、ちょうどよかった」
それ以上説明しない