第28章 祭と涙
══閑話══
煙が低く漂う店内
肉の香ばしい香りとタレの焦げた匂い
七海はトングを持ったまま、淡々と肉を裏返す
焼きすぎないよう、焦がさないよう、正確なタイミングで
向かいでは猪野琢真が姿勢を正して座っている
焼き肉なのに妙に真面目…
猪野が口を開いた。
「……お昼、流鏑馬さんといました?」
七海は視線を上げない
「……いましたね」
肉を一枚、猪野の皿に置く
「プライベートでも仲良いんですか?」
問いは軽い
七海は一拍置いた
「いえ…」
網の火を調整する
「いや…そうですね…ランチに行くくらいには」
それ以上は言わない
猪野は頷きながら肉を口に運ぶが、視線だけは七海を見ていた
わずかな言葉の間…そこに何かがあると感じ取っている
七海は気づいている…紅海は自分を信頼している
任務の相談、生徒の話、些細な雑談
高専時代の先輩後輩ではない
今はもっと落ち着いた距離だ
――大好きな後輩
おそらく彼女にとって、自分はその位置だ
昔、高専時代…流鏑馬紅海に好意を抱いたことがあった
いつしか日々に追われ、その感情は仕事の中に埋もれていった
…はずだった
東京に戻ってきた彼女と再会するまでは
彼女に会うたびに思う
やはり、この人が好きだな…と
しかし同時に理解している
彼女が誰を見ているか視線で解る
五条悟…
高専時代から、あの男は彼女を特別扱いしていた
本人が自覚したのが最近というだけだ
以前、五条が言っていた言葉を思い出す
――告白って儀式いる?
――自分が好きなら、それで良くない?
当時は軽薄な理屈だと思った
だが今なら理解できる
言葉にしなくても成立する感情…報われなくても成立する感情は確かに有る
「七海さんって……流鏑馬さんの事、信頼してますよね」
猪野の言葉に七海は少しだけ笑った
「ええ。優秀な術師ですから」
それは事実だ…だが、それだけではない
網から肉を取り上げ、自分の皿に置く
視線を落としたまま、静かに続けた
「……彼女が笑っていれば、それで十分です」
猪野は何も言わなかった。
その言葉が、仕事の評価ではないと理解したからだ
七海はもう一枚、肉を焼き始める
自分が選ばれなくてもいい
守れれば…支えられればいい
彼女が前を向いて、生き残るならそれで満足だ…
煙の向こうで火が揺れる