第3章 依依恋恋 三話
現代に生きる新卒社会人として刷り込まれた意識とでも言うべきか、押された後に引かれてしまうと否とは言い切れない凪が、困り顔で眉尻を下げた。自らの手の平でころころと相手を転がしているような、少しばかり懐かしい感覚に光秀が吐息を零すようにして短く笑い、洋菓子の乗った皿とフォークを置く。衣擦れの音を微かに立て、再びソファーの肘掛けへ頬杖をついた。次はどんな言葉が返って来るのやら。そんな事を考えながら男が首を仄かに傾げてみせる。
「ならば、難しく考えずに出来るだろう?」
「うっ……先生って、意外とフレンドリーな性質(たち)だったりするんですか?」
「そう受け取ってもらっても構わない」
(ただし、お前に対してのみだが)
生憎と他のよく知りもしない女を気安く呼ぶ事も、あるいはそれらへ自身の名を呼ばせる事も皆無だ。他ならぬお前にだからこそ、呼んで欲しい────喉元までせり上がって来た言葉を音もなく呑み込み、何事もなかったかのように涼しげな顔で悠然とした様を見せる。やがて、凪が落ち着きなく光秀と硝子の天板を見比べ、膝へ置いた両手へぎゅっと力を込めた。
「み、光秀………先生」
「及第点といったところか」
「これ以上一体どう呼べば……!!!?」
(以前のように、とまではさすがに欲張り過ぎというものだな)
ぽつりと付けられた先生の敬称に光秀がふと眉尻をほんの僅かに下げた。唇の笑みがそのままであっただけに、少し寂寥(せきりょう)を感じているような印象に見えてしまったかもしれないという懸念もあったが、凪はどちらかと言えばかけられた科白の方へ意識を向けているようだ。さすがに彼女と出会って二日足らず。立場上の関係も相俟って、ひとまず今はこれが限界だろうと察した男がそっと頬杖を解いた。
「いや、それで構わない。改めて今後とも宜しく頼むぞ、凪」
「はい、明智……いえ、光秀、先生」