第87章 口付け【R18】冨岡義勇
ゆきは乱れた隊服を整えると、慌てて立ち上がった。
義勇と視線を合わせることすらできず、ただ短く一礼して、逃げるようにその部屋を出て行った。
ひとり残された義勇は、湿布薬を持ったまま、呆然と自分の手を見つめていた。
俺は…一体、何をしているんだ…
突き放したり、強く当たったり…
優しくしたり…体に触れたり…
ずっとずっとこんな事の繰り返しだ…。忘れたくてもお前が愛おしすぎて忘れられない…。
ずっと繰り返しだ…。
「すまない…」
一方、ゆきは早まる鼓動を抑えられぬまま、無一郎の屋敷へと急いでもどった。
「無一郎くん…」
着いた屋敷は静まり返っていた。
夕刻には戻ると言っていた無一郎の姿はなかった。
無一郎を、待とうとするゆきに、隠がお風呂と食事を済ませてくださいと告げに来た…
そうこうしている間にも、刻々と時は過ぎていく…
柱が定刻を過ぎても鴉もよこさずに、戻らない異常事態に、屋敷の空気は張り詰めていた。
ひとり部屋で待つゆき…
「無一郎くん…どうしたんだろう?無事なのかな?怪我とかしているんじゃ…鬼と遭遇して何かあったんじゃ…?」
その頃、無一郎は月明かりの下、美月と共に草むらをかき分けていた。
「無一郎様、もう…。私なら大丈夫ですから、お帰りください」
申し訳なさそうに俯く美月に、無一郎は思い出す…
かつての苦い記憶…
任務の後、美月をひとり残してゆきのもとへ急いだあの日、彼女を鬼に襲わせてしまった…。
そんな危ない目には合わせられない…。
「だめだ。君をひとりにするわけにはいかない。最後まで一緒に探すよ」
美月は、胸がいっぱいになった。優しい言葉…簪を失くしたなんて嘘なのに…一緒にこの街に泊まりたかったからついた嘘…。
屋敷で一人、無一郎の帰りを待つゆき
背中に残る義勇の唇の感触…帰らない無一郎への不安。
三人の想いが夜の闇に溶け合い、どんどん絡まり拗れていく…。
ゆきは、隣の無一郎の部屋のふすまを開け中にゆっくり進んだ…。
部屋の隅の紙飛行機を、手に取りその場に膝をかかえて座り込んだ…。
「無一郎くん…どうしちゃったの…心配だよ…。」
今夜も、月が綺麗な夜だった…