第78章 離れゆく気持ち…
夜風が鋭く頬を叩き、ゆきはたまらず膝を抱え込んだ。
里を一望できるこの高台からは、つい先ほどまで自分がいた宿の明かりが小さく見える。
「どうして…信じてくれなかったの…何もなかったのに」
止まらない涙が地面を濡らす。
不死川とのことは、ただの偶然でしかなかったのに。義勇に拒絶され、「あいつの所へ行け」と吐き捨てられた言葉が、何度も耳の奥で繰り返される。
その頃、静まり返った義勇の部屋に、しのぶが姿を現した。
「あの、冨岡さん。ゆきさんが泣きながら走り去るのを見かけましたが…何かありましたか?」
義勇は何も答えず黙ったままだった。
義勇の脳裏を支配していたのは、醜い嫉妬だった…。
今頃あいつは、不死川の腕の中で泣いているのか。…いや、もう抱かれているのかもしれない
そう思うだけで、胸が焼け付くように苦しくなる。
その隙間に、ふわりと甘い藤の花の香りが入り込んできた…。
「可哀想な冨岡さん。私なら、貴方を一人にはしませんよ?」
しのぶの細い指が、義勇の頬に優しく触れる。
絶望の底にいた彼にとって、その温もりはあまりに優しく、そして抗いがたい救いに見えた。
「…あいつも、同じことをしているのだな」
自分に言い聞かせるように呟くと、義勇は吸い寄せられるようにしのぶを抱き寄せた。
ゆきへの不信感が、彼を裏切りへと突き動かしてしまう。
しのぶは、笑みを浮かべ、熱く応えた。
二人の影が重なり、夜の闇に溶けていく中、義勇の心にあったはずの罪悪感は、「ゆきも不死川と愛し合っているはずだ」という勝手な思い込みによって、無残に塗り潰されていった。
ひとり、冷える夜の中で、そんなことが起きているとは露知らず、ゆきは高台で夜空を見上げていた。
「…寒いな」
震える手で自分の肩を抱く。
義勇は、夢中でしのぶを抱く一方でゆきは、冷たい風の吹く暗い高台で、夜を過ごしていた…。
義勇の気持ちは離れていく…高台に吹く風のように
ゆきの身体をすり抜けていく…しのぶ色に染まっていく…
「寒い…」
義勇に、貰った桜色の羽織に包まりながらゆきは寒空の下目を閉じた。
義勇は、ゆきとは違うしのぶの感触に身を委ねた…。