第29章 「善意の逆理 Ⅱ**」
須和先輩が声を上げ、暴れる彼女の身体を上から押さえ込んだ。
「発作だ。家入、ジアゼパムを用意しろ。すぐ点滴から入れる」
「はいっ!」
薬でどうにかできる状態じゃない。
それでも、発作を一時的に抑えるくらいはできるか。
「……っ、ぁ……!」
がこっちを向いた。
焦点なんて合っていない。
意識だって、まともにあるはずがないのに。
それなのに――一瞬だけ。
その瞳の奥に、翠色の光が走ったように見えた。
気のせいか。
いや、でも。
確かに、今……。
「家入!」
「……っ」
「何してる、早く!」
須和先輩の鋭い声に我に返る。
アンプルを手に取ろうと、後ろを向いた瞬間――
「……っ、さん?」
須和先輩が、わずかに息を呑む音がした。
振り返ると、が先輩のスーツを掴んでいる。
「……ゆ、っうれ……」
掠れた声が、の唇から漏れる。
それが誰に向けられた言葉なのか。
私には、わからなかった。
は先輩の襟元を引き寄せるようにして、彼の唇に自分の唇を重ねていた。
ただ触れただけじゃない。
何かを奪うような、あるいは探るような、ひどく切実な口づけ。
須和先輩が驚いて、すぐに身体を離そうとする。
でも、の細い腕が彼の背中へすがりつくように回されていた。
(なんだ、これ)
目の前の異常な光景に、手に持っていたアンプルを落としかけた。
思考が、完全に停止しかける。
(……いや、早く引き離さないと)
ハッとしての肩へ手を伸ばそうと、一歩踏み出すと。
「――は?」
背後から、底冷えするような低い声が落ちた。
部屋の空気が、一瞬で凍りつく。
振り返らなくてもわかる。
その声の主が、誰なのか。