第16章 「心のままに、花が咲くとき」
(……見えなくなってる!)
誰の記憶も、感情も流れ込んでこない。
その事実がただただ嬉しくて。
安心して、涙が出そうになる。
私はそっと目を閉じて、先生の胸に顔を埋めた。
聞こえる。
どくん、どくん、と先生の心臓の音がする。
私の鼓動と重なって、溶け合っていく。
(……よかった、本当によかった……)
じんわりと胸の奥があたたかくなっていく。
その時、耳元で静かに声がした。
「……、積極的なのは嬉しいんだけど、どうしたの?」
先生の声はどこか困ってるような、でも少し笑ってるような響きだった。
(……あっ)
その瞬間、私はようやく“自分が何をしていたのか”を思い出した。
さっきまで、あちこち先生の体を触って。
確認するように撫でて、自分から抱きしめて――
「~~~~っ!!」
自分の顔が信じられないほど熱くなっていくのを感じた。
「あ、あの、これはですね……そのっ……!!」
しどろもどろに言葉を探すけれど、うまく出てこない。
もうどうしたらいいのかわからなくなって、ぱっと先生から離れようとした。
「え、まだだめ。もうちょっと」
そう言って、私をさらに抱き寄せてきた。
「僕もぎゅってしたい」
……ずるい。
そんな言い方されたら、もう抵抗なんてできなくなる。
私は観念してそっと目を伏せた。
そして、おとなしく先生の腕の中に身を預けた。
(……幸せって、こういうことを言うのかな)
夏の朝の光が、カーテン越しにやわらかく降り注いでいた。
廊下の向こうでは、看護師さんの足音が遠くで響いている。
世界は少しずつ目を覚ましているのに、
私たちだけは――まだ、夢の中にいるみたいだった。