第16章 「心のままに、花が咲くとき」
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数日後の朝――
ゆっくりと、私はベッドから足を下ろした。
まだ少しふらつくけれど、壁に手を添えればなんとか立てる。
脇腹の奥がぴりっと疼く。
けれど、あのどうしようもない痛みはもうなかった。
(……歩ける……)
身体が動く。
呼吸ができる。
たったそれだけのことが、こんなにも嬉しいなんて。
硝子さんが何度も反転術式をかけてくれたおかげだ。
毎日疲れた顔で、それでも諦めずに術式を行ってくれていたのを私は知っている。
(……ありがとう、硝子さん)
そう思いながら、ゆっくりと病室の窓に近づく。
カーテンを少しだけ開けると、まだ朝の光は淡くて、
どこか夢の中みたいにぼんやりと白かった。
眠っている間のことはあまり覚えていないけれど、
ときおり、誰かの声を聞いたような気がする。
あたたかい手の感触。
額に触れた、大きくて優しい手。
(……先生、だったのかな……)
確かめることはできない。
でも、なんとなくそうだと思った。
そのとき――
背後でどさっと、何かが落ちる音がした。
反射的に振り返ると、病室の入口のあたりに人影があった。
手から滑り落ちた紙袋が、床の上に落ちている。
(……あ……)
そこに立っていたのは先生だった。
いつもの制服姿だったが、今日は珍しく目隠しをしていない。
私を見て、蒼い目が大きく見開いている。
「…………?」
名前を呼ぶ声が、ひどくかすれていた。
ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
私はうまく言葉が出せなくて、ただその場に立ち尽くしていた。
壁に添えた手が少し震える。
先生の足音が近づいてくるたびに、鼓動がどんどん速くなる。
言いたいことが喉の奥につかえて出てこない。
(……あれ?)
ふと、思い出す。
今週は先生、出張って。
(たしか、遠方の任務で数日戻れないって……硝子さんが……)
じゃあ、なんで――
(……なんで、ここに……)
思考が追いつかない。
心の準備なんて、何もできてない。
(どうしよう……何から話せばいい……?)
(まず……この前のこと、謝らなきゃ。それから……)
でもその「それから」がうまく言葉にならない。
頭が真っ白になる。