第117章 有馬にて
陽が高くなってくると、町歩きにも暑さを感じるようになる。
有馬の町は坂も多く、ゆったりと歩いていても汗ばんでくる。
「…疲れたか?」
緩やかな登り坂を上がったところで、ふぅっ、と息を吐くと、信長は気遣わしげに朱里の顔を覗き込んだ。
「今日はお天気が良くて暑いぐらいですね。少し喉が渇いてしまって…」
「茶でも飲むか」
「はい…あ…あれは?信長様、あれは何でしょう?」
近くに茶店はないかと視線を巡らせた先で暖簾が風に揺れていた。
涼しげな藍色に染め抜かれた暖簾には、見慣れぬ字が書かれていて……
『炭酸水』
昨日の"炭酸せんべい"に続き、またもや『炭酸』という文字に興味を唆られて、思わず足を止めていた。
小さな店構えの暖簾の向こうからは、微かに涼やかな気配がする。
店先には小さな木札が立てかけられていた。
『炭酸水、冷えてます』
その一言に、朱里は目を瞬かせ、信長を見上げた。
「……冷えてる、らしいです」
「ほぅ…飲めるということか」
信長の口元が、にやりと愉しげに歪む。その目は新しい玩具を見つけた時の子供のようにきらきらと輝いていた。
「丁度良い。喉が渇いているのなら、試さぬ理由がない」
「ええっ…」
迷いなく暖簾をくぐる背に、朱里も慌てて続いた。
店の中は外よりもひんやりとしていて、木の香りとともに、どこか弾けるような不思議な音が耳に届く。
「いらっしゃいませ」
「表に出ていた炭酸水とはどのようなものだ?」
「炭酸水は、有馬の湯から湧く炭酸泉に砂糖を加えて甘みをつけた飲み物でございます。異国では『さいだー』と言うそうですが」
「さいだー……不思議な響きですね。飲める温泉とは、どんなものでしょうか」
「砂糖水のようなものか…興味深いな」
信長は躊躇うことなく、早速に二人分の炭酸水を注文する。
しばらくして店主が運んできたのは、透明な水に細かな泡が絶えず立ちのぼる、不思議な飲み物だった。