第117章 有馬にて
信長は、くくっと愉しそうに笑いながら朱里の腰に手を回し、引き寄せる。
「あっ…」
胡座を掻いた膝の上に座らせて、後ろから抱き締める。
首筋に顔を埋め深く息を吸い込むと、朱里は擽ったそうに身を震わせた。
「時は充分にある。ここにいる間は誰に遠慮することもない。朝も昼も夜も…貴様から求められずとも、存分に愛でてやろう」
「もぅ…それでは静養になりませんよ?」
困ったように眉尻を下げる朱里の口の端に、口付けを一つ落とす。
「それ以上は聞かぬ」
信長はきっぱりと言い切ると、朱里を抱き締めたまま布団に身を横たえる。向かい合い、互いに自然と唇が重なった。
軽く触れるだけの口付けは、互いの想いを確かめ合うように穏やかなものだった。
虫の音が遠くに響く中、二人の間には先程までの熱の名残と、心地よい安らぎが満ちていた。
「今宵はこのまま眠るぞ」
「……はい」
小さく頷いた朱里の声は、どこか満たされたように柔らかかった。
信長の体温を感じながら、ゆっくりと静かな眠りの淵へと落ちていく。やがて小さな寝息が聞こえてくる。
「おやすみ、朱里。愛している」
信長の低い囁きは、眠りに落ちた朱里には届かぬまま、静かな夜気に溶けていく。
外では、湯治場の静けさに調和するように虫の音が響いている。風がさわさわと木々を揺らし、遠くで湯が流れる音が微かに聞こえていた。戦の喧騒とはまるで別の世界のようだった。
信長は天井を見上げ、ゆっくりと目を閉じる。
腕の中の温もりを確かめるように抱き寄せると、何とも言えない安心感に満たされる。己の腕の中で無防備に眠る朱里が愛おしく、その存在はもはや信長の一部と言っても過言ではなかった。
(思えば俺はいつも何かを求めてきた。欲しいものは奪い、望むものはどんな手を使ってでも手に入れる。それが当たり前だと思っていた。天下も、力も、名も…全ては己が「求めた」結果だ)
誰かに「求められる」ことなど、考えたこともない。
自分は常に求める側であり、それで足りていたはずだった。
「……求められることが心地良い、などと緩いことを思う日が来ようとはな」
自嘲気味に呟きながらも、信長はどこか嬉しそうだった。
求めることでしか前に進んでこなかった男が、求められることで満たされている。
「……悪くない」
やがて信長もまた、静かな眠りへと沈んでいった。
