第110章 魔王の霍乱
やんわりとした拒絶ながら、それ以上は近付くことができない雰囲気に、信長様を出迎えた時の安堵と高揚感が急速に下がっていく気がした。
「っ……何で?」
「ん?何か言ったか、朱里?」
思わず俯いてしまい、無意識に呟いた私の声を聞き取れなかったらしい秀吉さんは小首を傾げる。その悪気がなさそうな、いつもと変わらない人好きのする優しい顔を見ていると、訳が分からなくなって胸がぎゅっと苦しくなった。
「何でもないよ!じゃあ、私は家康のところに戻るね。秀吉さん、信長様のこと、よろしくお願いします」
意を決して勢いよく顔を上げるが、さすがに目は合わせ辛かったので、秀吉さんの反応を見ることなく一息に言ってからクルリと背を向けた。
「あ、おい、朱里?待っ…」
慌てて呼び止める秀吉の声から朱里は逃げるようにして城内へと入っていった。
秀吉は一瞬の出来事に呆気に取られたようになり、朱里を引き止めるために伸ばした手を行き場なく浮かせていた。
「あーあ、あれ、絶対何か誤解してるぞ。どうするんだ?秀吉」
「あんなに急いで戻ってしまわれて、朱里様はどうされたのでしょうか?秀吉様」
「可哀想に…今頃泣いているのではないか?やれやれ、お前がつれなくしたせいだぞ、秀吉」
「はぁ!?お前らなぁ…勝手なことばっかり言うな。つれなくなんてしてない!ここは朱里の身を守るのが最優先だろ!俺は御館様のご意志を汲んだまでだ」
「ならば、はっきり言ってやればよかったんじゃないか?お前に病が感染ると困るから今は俺達に近付くな、とな」
「言えるか、そんなこと。朱里が怖がるかもしれないのに…」
今日一日、病が蔓延する村の中で信長ら武将達も患者に直に接していた。病の原因は定かではないが、風邪に似たものならば咳などの飛沫によって感染が広がっている可能性が高い。
目に見えぬものを予め防ぐ手立てなどこの時代には当然なく、気休め程度だが湯浴みで身体を清めるぐらいのことだった。
強靭な体力と鍛え上げられた身体を持つ武将達は病に罹ることを恐れてはいなかったが、城の者に感染を広げるわけにはいかなかったのだ。そのためなるべく人との接触を避け、帰城後はまず身を清めるつもりだった。
(まさか朱里が出迎えに来るとは…俺としたことが考えが足らなかったようだ)
「ともかく、貴様ら、さっさと湯浴みを済ませるぞ」
