第110章 魔王の霍乱
「ようこそお越し下さいました。お出迎えもせず、誠に申し訳なく…っうっ、ゴホッ…ゴホッ…」
信長の前に転がるように出て来た男は、膝をつき頭を下げて挨拶を始めたが、すぐに口元を押さえて苦しげに咳き込みだした。
「お、おい、大丈夫か!?しっかりしろ!」
信長の傍に控えていた秀吉は、さり気なく主君を庇うように男と信長の間に割って入った。そうして咳をする男の背を躊躇うことなく摩ってやる。
「うっ…ゴホッ…も、申し訳ございません」
苦しそうに咳き込みながらも恐縮する様子を見せる男の身体は、触れると少し熱かった。熱があるせいであろうか、はぁはぁと吐く息も荒いようだ。
話ぶりから察するにどうやらこの男がこの村の長のようだが、この男の様子からみてもやはり村中が病に侵されているといっても言い過ぎではないのかもしれない。チラリと見えた家の中には他にも何人もが寝込んでいるようで、ゴホゴホと咳をする音が聞こえていた。
「一体何があった?村の者は皆、病に罹っているのか?元気な者はいないのか?」
「は、はい…最初は数人だったのですが看病をしていた者が次々に罹ってしまって…亡くなった者の野辺送りも満足にできぬ有り様で…」
村長は後ろめたそうな目で部屋の片隅を見る。そこには筵(むしろ)を掛けられたものがあり、村長の話から亡くなった者の亡骸だと推測できた。次々に人が亡くなり、残った者も病で寝付いているため亡骸を弔う余裕もなかったのだろう。
「事情は分かるが、冬場とはいえ亡骸を長らくそのままにしておくのはよくない。弔いは俺達でする。急を要するゆえ、十分なことはできないが…」
「勿体ないお言葉、あ、ありがとうございます」
そうして織田軍は手分けして村の中を回っては食糧や薬を配っていき、亡くなった者の弔いも行った。
秀吉からの事前の報告どおり、高熱や咳、喉の痛みなど所謂風邪のような症状を訴える者が多かったが、若い健康な者の中には比較的症状が軽く動ける者もいるようだった。
ただ、事前に想定していたよりも患者の数が多く、持参した薬はすぐに底をついてしまっていた。
「御館様、やはり薬が足りません。村の状況はおおよそ確認できましたし、感染拡大を防ぐための重症者の隔離も完了しました。この上は一旦城へ戻り、出直した方がよいかと…」
「そのようだな。家康らもそろそろ戻っている頃だろう」
