第110章 魔王の霍乱
「朱里、大丈夫?疲れたんじゃない?少し休もうか?」
地面を見つめたまま、その場にぼんやりと佇む朱里に気付いた家康は、気遣わしげに声を掛けた。
普段は城の中で過ごすことの多い朱里に、急な山歩きはやはり負担だったかと案じたのだ。自ら手伝いたいと言い出したこともあり、朱里が自分からは決して弱音を吐かないだろうことも家康には分かっていたからだ。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してただけで…大丈夫、疲れてないよ!まだ全然平気で…あっ…」
「えっ?」
疲れを見せまいと、俯いていた顔を勢い良く上げた朱里は目線の先に一本の木を見つけて思わず言葉を詰まらせた。
「ねぇ、家康。あの木ってもしかして…」
「ん?あぁ、あれは…ネズミモチの木だね。実もたくさん成ってる。この辺りに生えてるなんて知らなかったな」
ネズミモチとは濃い緑色の葉と美しい白い花、秋になると実を楽しませてくれる常緑性の花木であった。ネズミモチの実は黒紫色の楕円形をしており、その実の形がネズミの糞に似ていることと葉がモチノキに似ていることからその名が付いたと言われている。
黒紫色に熟した実は日干し乾燥させると女貞子(ジョテイシ)と呼ばれる生薬となり、強心、利尿、緩下、強壮、解熱などの効果薬として古くから用いられているものだった。熟した実は煮出してお茶として飲んだり、酒に漬け込んだりして常飲すると疲労回復や虚弱体質の改善などの効果も期待できた。
果実のほかにも、樹皮は女貞皮として風邪の熱に、抗菌作用のある葉は女貞葉として解熱に、根は女貞根として咳の治療に利用されている。
「ネズミモチは実だけじゃなくて葉や樹皮、根まで全部、薬として使えるから、これはかなり役に立つよ。全部採って帰ろう」
「うん!」
思わぬ収穫に気持ちも上向きになり、薬草を集める手も早まる。
家康と手分けして集めること数刻、手持ちの籠の中はあっという間にいっぱいになった。
(ネズミモチは確か夏に白い小さな花をたくさん付ける木だったよね。お城の書庫にあった薬草の本で見ただけだけど、小さくて可愛らしい花だった。この時期は花が見れないのは残念だけど…薬になる材料がたくさん見つかってよかった)
薬草作りは始まったばかりだが、必要な量の薬草をまずは無事に集められたことで朱里はほっと安堵の息を吐くのだった。
