第29章 カモミールの庭で
ひれ伏していたナダルは、オリオンとアルテミスのひづめの音が聞こえなくなるまでそのままの姿勢でいた。
「ふぅ…、行ったか」
完全に聞こえなくなって、汗を拭きながら立ち上がる。
「まさかリヴァイ兵長が来るなんて、ありえねぇだろ。っていうかあれ? なんで来たんだ? 視察か? いやでもマヤは調整日だと言ってたよな…? いやでもマヤは調整日でもリヴァイ兵長は視察かも。報告しねぇとな…。いや待てよ、もし万が一リヴァイ兵長も調整日で、プライベートで来たんだったら、勝手に俺が上に報告して騒ぎにでもなったら…、殺される! いやでも報告しねぇといけないのにしなくても殺されねぇか? うぉぉぉ、どうしたらいいんだ俺!」
ナダルは頭を抱えてしまった。
一方、マヤは実家に一歩一歩近づくごとに緊張が強くなってきた。
……兵長のこと、なんて言おう…。
つきあってるなんて言ったら、きっとお父さんもお母さんもびっくりする。
というか、信じてもらえなさそう…。
難しく考えても仕方ないじゃない!
もうここまで来たんだ。
あるがままを伝えるしかないわ。
マヤが覚悟を決めて、ひとり大きくうなずいたころ、街の中心にそびえ立つ大きな建物の前を通りかかった。
「ディーン商会です、マリウスの実家の…」
その言葉に、リヴァイはその堂々とした建物を見上げる。
「立派だな…」
平屋もしくは二階建ての店舗か住宅がほとんどのクロルバ区において、その四階建ての石造りの建造物はまるで王族の城だ。
「クロルバ区の商いを仕切っていますから。ここが中心なんです… 場所的にもそうですが、街の人々の生活の中心…。一階と二階が店舗と事務所になっていて、上は住居です。あとで…、オリオンを置かせてもらえないか訊きにきます」
「……オリオンを?」
「はい。うちの庭じゃ狭くて…。ちょっとのあいだならアルテミスとオリオンの二頭一緒にでも大丈夫だと思いますが、一晩中となると…。アルテミスだけしか無理なので。あっ、でもオリオンをよそに預けるのはまずいですよね…。じゃあアルテミスをお願いしようかな…」
一人でどんどん話を展開していくマヤに待ったをかける。
「おい、ちょっと待て。ここの宿屋は馬小屋はねぇのか?」