第29章 カモミールの庭で
「トロスト区で見かけたことはないが…」
ふと疑問に思って、リヴァイはつぶやいた。
「そうですね…。多分、クロルバの方が高く買い取るんじゃないかな? 昔… そんな風なことを狩猟民の人が言っているのを、聞いたことがあります」
「……近づかねぇんじゃなかったのか」
「それが…、ある日かくれんぼをしていて、大きな樽の陰に隠れていたら、近くで狩猟民の人とお肉屋さんの会話が聞こえてきて…、確か…」
マヤは聞いてしまった会話を思い出そうと、空を見上げた。
「ダウパー村から来たとか、やっぱりトロストよりクロルバの旦那の方が気前がいいとか、今日は鹿だけではなく猪もあるとか言っていたんだけど、なんか言葉が訛ってて聞き取りにくかったです」
「そうか」
「それはたまたま近くにいたから聞いたけど、それ以外は全然そばに寄ったことはないですよ? ……あっ」
クロルバ区の内門が見えてきた。
「兵長、あそこです」
駐屯兵団の兵士が開け放たれた門の内側で居眠りしているのが、遠くからでもわかった。
「寝てやがるな」
「あはは…、いつものことです」
そんな会話をしているあいだにも、ぐんぐんと距離は縮まり、内門に到着した。
「ナダルさん」
マヤは居眠りしている駐屯兵に声をかけるが、起きない。
「ナダルさん、ナダルさん!」
「う~ん? あぁ? 出ていくのか?」
起きたが、完全に寝ぼけているナダルを、リヴァイは怒鳴りつけてやろうかと思ったが、その前にオリオンが反応した。
キュイィィィン!!!
高い警告のいななきを発して、前脚を上げて踏み潰しそうなそぶりを見せた。
「うわぁぁぁ!」
一瞬で完全に目覚めたらしいナダルは青ざめて、オリオンを見ている。
「なんだ、このでけぇ馬…」
「ナダルさん!」
ナダルは大きくて黒いオリオンの迫力に気を取られて、アルテミスとマヤに全く気づいていなかったが、やっと。
「マヤ! 帰ってきたのか」
「はい。急ですが、調整日をもらって」
「そりゃいい! この時間に来るってことは泊まりだな。久しぶりにゆっくりして親孝行すりゃいい。親父さん、喜ぶぞ!」
「ありがとうございます」
アルテミスの背の上で、マヤの花のような笑顔がこぼれて、ナダルはぼうっと見惚れている。