第27章 翔ぶ
「……そうなんですよ…。私が前にここに来たときは、これがカイン・トゥクルの絵だと知って、別の意味で驚いたんです。読んでいる小説の挿絵の画家と同じだったから」
「あぁ、そうだったな。セイレン・ファン・ホッベルのベストセラー小説の…」
「“恋と嘘の成れの果て” です」
「そうそう、それ」
アンリ・グロブナー伯爵のミスリル銀贋物事件と、カイン・グロブナーの暴行事件を新聞が報道したときに、カイン・グロブナーがカイン・トゥクル名義で大ヒット小説の挿絵も手がける人気画家だということをスクープしたのだ。
人気作家セイレン・ファン・ホッベルのベストセラー小説である “恋と嘘の成れの果て” の続編の発売が延期になっていたこともあって、その延期は事件を起こした伯爵子息が原因だったのではないかと推察もまじえて大々的に報道され、センセーショナルを巻き起こした。
「ここで好きな小説の挿絵の画家の絵を見つけて驚いていたんですけど、まさかそのあとに初めて行った舞踏会の招待主が、実はその画家だったなんて。そしてペトラにあんなひどいことをするなんて…!」
マヤの声が怒りで震える。
「そうだな、ひでぇ野郎だ。カインは…」
……だが、その舞踏会でオレはマヤと出逢えたから。
レイは複雑な気持ちを抱えて黙っていた。
「でもレイさんにはあのときに助けてもらいましたし、ペトラももうすっかり元気になっていますし…。いつまでも怒っていちゃ駄目なんですけどね…」
マヤはカインの描いた茶摘みの風景画に目をやり、ため息とともにつぶやいた。
「カインさんのことは好きになれないけど、この絵は好きだな…」
レイも油絵を眺める。
なだらかな丘を茶の葉の濃い緑が覆う。遠景には青く高い山並みに白い雲が流れている。
茶畑の真ん中に描かれている背の高い女性は、一心不乱に手許の葉を摘んでいる。背中には麦わら色の大きな籠。真っ白なカーディガンを羽織り、頭には目の覚めるような真紅の布を巻いている。
緑の中に浮かぶ白と赤が、鮮やかな印象を残す。
優れた色彩感覚にハッとさせられる天才的な作品だ。
「……確かにすげぇ絵だよな」
レイもぽつりとつぶやいた。