第26章 翡翠の誘惑
「恥ずかしがることはないぞ? マヤくらいの年頃の娘が、いい男に心惹かれるのは当たり前のことだからのぅ。その逆も然りじゃ」
どうやらヘングストは恥じらって顔を上げられないマヤを励ましているようだが、あまり効果はない。
「マヤ、アルテミスがどうして今そこにおるかわかるか?」
「……へ?」
突然の意味不明な質問に驚いて、思わず顔を上げる。
自身の問いに反応してマヤが、ようやくこちらを向いたことに満足した様子でヘングストはつづけた。
「アルテミスの父馬と母馬が愛し合ったからじゃ。種付けがなければ生を享けることはできん」
「………」
自然の摂理はそうであるし、ヘングストの言っていることは正しいのだが、想い人のリヴァイを心に抱いて恥じらっている状態のときに種付けの話をされても、余計に恥ずかしいだけだ。
「だから胸を張って恋をしたらええんじゃ」
「……はい」
恥ずかしいがヘングストが勇気づけてくれているのはわかるので、マヤは素直にうなずいた。
「ところでもう日も暮れるが、いつまでここにおる気じゃ?」
「えっ!」
厩舎の壁に時計はないが、確かに窓からの光は弱々しく、黄昏時を示していた。
「もう行かなくちゃ! アルテミス、今日は一緒に寝てくれてありがとう」
慌てて立ち上がって、アルテミスに話しかけているマヤの背中にヘングストは詫びを入れた。
「気持ち良く眠ってたところをすまんとは思ったんじゃが、もうサムとフィルも上がったしのぅ…」
「いえいえ、 起こしてくださってありがとうございます…。アルテミス、またね」
アルテミスにチュッと別れのキスをしてマヤが馬房を出てくる。
ブルブルブル、ブブブブ。
甘えた様子で鼻を鳴らして、アルテミスは出ていくマヤを見送った。
「ヘングストさん、また来ますね」
「アルテミスのためにも、そうしてやってくれ」
「はい!」
厩舎を出れば空は薄暮からゆっくりと、夜のとばりが下り始めている。
……食堂に誰かいるかしら?
できるならば親しくしている人と一緒に夕食を取れたらいいなと思いながら見上げた空には一つ星… 宵の明星が、ひときわ明るく輝いていた。