第26章 翡翠の誘惑
なんとか熱い欲を自ら鎮めて入浴し終えると、部屋へ戻る。
机に向かって難しい計算式に取り組んでいたハンジがめずらしく、モブリットをじっと見る。
……妙な顔をしている。
モブリットはそう感じた。
黙って不審そうな顔で自身を見つめてくるハンジが怖い。
……もしかして風呂でやってたことが… ばれてる?
どっと変な汗が体から噴き出してくる。
風呂に入って温まっていたのに、冷や汗で背すじが寒い。
……駄目だ、咎められるより先に謝罪した方が…!
覚悟を決めて、ぎゅっと目をつぶり、
「すみません…! つい出来心で…」
と謝りかけたのだが、ハンジの声も重なっていた。
「そのシャツ、表と裏…逆じゃないかい?」
「え?」
慌てて見れば、確かに反対になっている。
浴室での不埒な行為に頭がぼうっとして、着替えもままならなかったらしい。
「あっ、本当だ…。すみません…」
シャツの表裏が反対であろうが謝る必要なんかないのではあるが、そもそも自慰について謝罪するつもりでいたので、なんとなく謝ってしまった。
顔を赤らめて謝罪を口にしたあと、もぞもぞとシャツを着直しているモブリットを見てハンジは首をかしげた。
「何か言いかけていたね? なんだい?」
「やっ、いや! なんでもないです。ちょっと長湯でのぼせたみたいなんで先に寝ます!」
そう叫んでソファに置いてある毛布にもぐりこんだモブリット。
「うん? あぁ、了解。確かに顔が赤いよ。ゆっくり休むがいい」
……あのときは、やばかった。
分隊長が何も疑わずにまた研究に没頭してくれたから、うまくごまかせた。
十分に浴室も自分自身もシャワーを全開にして洗い流したつもりだった。
だが妙な視線を向けられて、もしかして白濁の匂いがしているのかと焦ってしまった。
欲の反対側にいるような崇高な目的のために日々研究に勤しんでいる分隊長を、あろうことか本人が数メートル先にいる浴室内で、欲の対象にしてしまうとは…。
本当にばれなくて良かった。
あの夜のことがあってから俺は、分隊長が風呂に入ったときには理由をつけて自室に帰るようになったんだ。
疲れを取りたいから大浴場に行きたいだの、風邪気味だからソファでなく自分のベッドで寝たいだの。
理由はなんだっていい。
風呂に入った分隊長のそばにはいられないんだ。