第26章 翡翠の誘惑
無防備にその美をさらしているハンジの姿に、息をするのも忘れて見惚れていた。
しばらく経って、そのことに気づく。
……はっ、俺は何を…。
食い入るようにハンジの顔を、そしてその長いまつ毛を見つめるあまり、気がつけば吸い寄せられるように、上半身をかがめていた。
ハンジのまつ毛も、鼻も、くちびるもすぐそこに迫っている。
……これじゃまるで、キスするみたいになってるじゃないか。
そう意識した途端に、心臓が口から飛び出ていきそうに激しく打ち始めた。
ドクンドクンドクンドクン。
静かな室内に胸の音が響いている。
……分隊長が起きてしまう!
そんな錯覚にとらわれて焦燥感でどうにかなってしまいそうだ。
と、そのとき。
「……うーん…」
今まで何をしても起きなかった、この先何をしても起きそうにもなかったハンジが、急に両手を上げて伸びをしながら声を出した。
「うわっ!」
モブリットはそれこそ脱兎のごとく跳び上がって逃げた。寝床のソファに飛びこんで、じっと息をひそめる。
……起きたか!?
俺が顔を見ていたの、気づかれたか?
もしそうなら、もう二度と分隊長のそばにいられない。
追いつめられて、極端な思考に走って、モブリットは絶望的な気分になった。
ソファで身を縮めて、ベッドのハンジの様子をうかがう。
………。
静寂で気が狂いそうだ。
きっと今なら針一本、いや糸一本が床に落ちても、鉄の槍が一本落ちたくらいの大音響に聞こえるに違いない。
………?
うーんと伸びをしたきり、また身動きをしなくなった。すうすうと眠っている。
……良かった。ばれてなかった。
安堵したモブリットだったが、ドクンドクンと打つ心臓は鎮まりそうにない。
脱兎がソファに飛びこんだ妙ちくりんな姿勢のまま、まんじりともせず朝を迎えた。
「……それから俺は分隊長を意識するようになったんだ」
鮮やかによみがえったあの夜の光景をかいつまんでマヤに話したモブリットは今、自分でも意外な感覚に襲われていた。
爽やかで、胸のつかえが取れてすっきりとしている感じだ。
誰かに聞いてもらえることで、こんなにも清々しい気分になるとは。