第1章 二年一組
無我夢中で夢にでも浸っているような感覚から、視界に映った自身の手を見てそれを元の位置に戻すと同時に正気に返る。
いくら綺麗だからって、触ってはいけない。
同姓に対しても人付き合いが苦手な自分がこんなにも他人に興味を示した事が自分でも不思議で、少し不気味だった。
触らない。触らないから、少しだけ貴方の事を見ていても良いですか。
寝ている彼の横の席に座り、くたりと前に倒された顔を見つめる。暮れて位置が低くなった太陽と彼とが重なり、一瞬だけ真っ暗な世界になる。
体に光が戻ったその姿はまるで太陽にキスをしているようで、思わず息を呑んだ。
綺麗。
まるで絵画に描かれた人物が飛び出してきたかのような横顔。
…あぁそうだと辺りを見回して、床に落ちている片面印刷のプリントを拾い上げた。
そして、胸ポケットに常備している濃いめの鉛筆をキャップを外し、クロッキーを始める。
対象の特徴を丁寧に描いていって、どんな風に描きたいのかをざっくりと決めていく作業だ。
起きたらどうしよう、心の何処かではそう思いながらも脳内はほとんど、この人が綺麗だということでいっぱいだった。
「…くぁ、あ…」
がちゃん、目の前から声が聞こえた衝撃で自分の足が大袈裟に机に当たってしまう。
見てみたいと思っていた紫の澄んだ瞳はまだぼんやりとしているけど、私をしっかりと捉えて離そうとしない。
言い訳なんて、考える暇もなかった。
考えても無駄だと心の何処かでは理解していたからかもしれない。
「…あ、の…す、すみま」
「…だぁれ?」
目の前の美人は段々と冴えていっているであろう頭を傾げて、ぽつりと言った。
ぽん響いたその声があまりに心地よくて、私は一瞬何を言っているのか理解ができなかった。
「…一年の、桜です。その、か、勝手に描いて…本当に…」
出来ることなら今すぐ逃げ出して遠くにでも行ってしまいたい。
欲望に負けた哀れな自分を思いっきり大声で笑ってやりたい。
「…こんなに綺麗に見えるの?貴女から見たら」
「…え?」
こちらに伸びた手が薄く汚れたプリントを取り上げてしばらく眺めると、怒るわけでもなく気持ち悪いと引くわけでもなく、その人はただ優しく笑った。