第72章 真相
ずっと一方的に、人の都合も気持ちも考えず都合よく利用する。
それは、甚振りであり、生殺しであり、虐げだ。
その時だけの、見せかけだけのものは、優しさじゃない。
優しさとは
人の気持ちに、痛んだり、苦しんだり
たとえ望まれてなくても、想って、ブレーキを掛けられることだと思う。
一つ、彼に準えて実例を挙げるが…
並盛町民は皆、彼から
『器物もトラックも売り物も壊され、歩道や車道も通行妨害され、威力業務妨害までされ、様々な犯罪行為による被害を深刻なまでに受け続け、なお一年も続けられても』、
反省の気持ちが一切感じられない「並盛町民への常日頃の振る舞い(繰り返し続ける、かつ、申し訳なさそうにしない)」を、日がな一日、毎日毎日何事もなかったように笑って取られ、また繰り返され続ける。
彼は、『あんな仕打ちを一方的に受け続けた並盛町民』から、彼にとって都合の悪いことを一切されず、
「誰一人からも」怒られず、文句も言われず、後ろ指も指されず、咎められも指摘さえもされず、白い目で睨まれもしなければ悪態も付かれない。
おかしいとは思わないだろうか?
結論から言うと極めて異常だ。
おかしくないと思うこと、それそのもの自体が「洗脳」であり「毒」だ←2857ページ参照
人というものは、自らにとって嫌なことをされれば怒る。
人間関係というものは、不満なり文句なり抱き、ぶつけたり、ぶつかったり、何かしら言動や態度に出るものだ。
だからこそ日々悩み、葛藤し、生きるのだろう。
だが、それを全て無くて当然としている。
その時点で、『人間味』というものが欠けている。
目の仇にされて当然のことを続け、誰一人として訴えも責めもしない。
怒りもしなければ不満もぶつけられず、何もされず、彼等だけ笑い続けるばかり。
立場を入れ換えて考えもしなければ気にも掛けない、殺しても悩みも葛藤も引きずりもしないで繰り返す。
そんな彼に、「誰も」怒らない、何もしない。
それ自体が極めて異常なことなのだ。
人は誰しもが、知らず知らずの内、怨みを買うものだ。
どれほど誠意を尽くしたとして
違いが、欲が、無くならない限り
怨みは、要求は、無くなることはない。
それさえも排他したとして、それは『世界』という概念を破綻させる。
『人間味』とは――世界の『大黒柱』だ