第72章 真相
だからこそ、気付かなければならない…
本当に大事なのは、何なのかを…
大事にすべきは、何なのかを…
温もり、
人が人のことを想い、考え、人の為に尽くし、自ら動く献身、
慈しみ、人の痛みを自分のことのように痛み、愛し、心を砕いてくれる慈愛と慈悲、
真に、人を想うとは、大事にするとはなんなのか…
もし己にとっての幸せを親切心で与えたとして、押し付ければそれはエゴになる。
一個人のみにとっての幸せとなってしまう。
だから…真に大事に想うのならば、『本人にとっての幸せ』を重んじ、それに寄り添うこと。
動いてもらう側も、それが当然だと思わないこと。
いずれ人は死ぬ、死んでから気付くでは遅い。二度と帰らない。去ってからでも遅い。
『日頃の感謝』こそが大事なのだ。
人からの不幸に惑わされるより、振り回されるより、その中にある温もりを見落とすなかれ。
人が人の為に動くこと、
その中にある真心、温もりを大事にしなさい。
人を人とも思わない時点で、人ではなくなってしまうのだから。
人でも、ものでも、何でも…
与えられている立場だと自覚し、俯瞰すべし。
余裕のない切迫した環境下に置かれたものに、
自らが抱く常識、当然を求めるのは、真に正義か?
余裕のあるものが、周囲へやりたいようにし、助けず逆に痛め付け、その心を考えもせず寄り添わず、利用するだけ利用し求めるだけなのは、正義か?
否だ。
人を人とも思わない、とは、
人の痛みに痛まない、その心を考えない、寄り添わないこと。
何度でも繰り返し、傷付け、殺すこと。
自らのみにとって都合のいい、利用をさせること。
する側からすれば大したことがないことでも、された側からすれば十分大事(おおごと)だ。
虐待、いじめを日々受け、逃げ場も捌け口も理解者等も一切なく、関わってくる全てが傷付けてくるだけで
「人は――人を不幸にすることでしか、幸せを感じないものだ」と、悟るぐらいには…
本当に大事(だいじ)にするとは…
真に、相手のことを自分のことのように想い、痛み、考え、見、聴き、慈しみ、尊重し、その心に寄り添うこと。
そこを一切せず、相手も心も無視し、いくらでも求め、反感も文句も抱かれず当然と、越えてはならない一線を越え続けるばかり。
それこそが地獄落ちに値する「大罪」となる。