第72章 真相
そんなこんなで…流動食も食べれるし(元から)、起き上がれるし、水も小まめに飲んだり、出しづらかった声も出せるようになってきている。
血をはくとか窒息するとか好き放題言われているが、一度もなっていない。
魑魅魍魎ならぬ魑魅妄言、人を惑わし迷わす魍魎とも感じた。
妄言で人を迷わせて惑わせてこっちへこいこいと誘導しようとする魑魅魍魎の類いだと…
運が悪いにも程がある
最初こそ私は鵜呑みにしかけて、心が平静ではいられず、
毎日ただただ必死で、根を詰め過ぎて、食事も喉を通らず倒れかけたりもした。
日々母がよくなっていることが目に見え、伝えてもなお変わらぬ医師の態度を受けて、
「医師って独善的な人しかおらんのかねえ…」と思ったり泣いたり嘆いたりもしたが、
「これも試練」と伝わってきた…惑わされず、振り回されず、医師にとってのみいいように流されない為の…
その頃(治療方針の決定を伝えられてから一時間の内に求められる12月28日)には、もう、腹をくくっていたようにも思う。
たとえそれで死ぬ結末が待ち受けていようと、それごと愛すると…
その決断をした、生き方を選んだお母さんを、誇りに思うと…
舌も喉も声帯も取り、全摘し、癌じゃなかった等、冗談にもならない。
声も戻らない、舌も戻らない、出来ていたことも戻らない。
だが専門家、医師の診断は絶対だ、言うことやることに口出しするな、が基本だ。
教えられるのは治療方針の選択がこんなのがあるというだけ。
今回は、全摘か、緩和ケアか、しか、選択肢を与えられなかった。
医療機関を変えようにも、紹介状を書かれなければ出来ない。
セカンドオピニオンも他へやることになるので、医師の機嫌次第で無理になる。
今回のことは本当に勉強になった。
身近な人を喪う覚悟、その道ごと愛し寄り添う覚悟、終生まで寄り添い結果を共にする覚悟…
様々な覚悟をいっぺんにしたようにさえ感じる。
だからこそ、決断できた
最期の最期まで、己の中の都合のいい想像(理想)のお母さんではなく
自分で選び、決断した、その道ごと、お母さんを、
向き合い、寄り添い、道を共にし、愛すると――
その選択は、私が後悔しない為のものではない
母が母らしく生きる為に、
その障害と一丸となって戦うと、最期の最期まで抗うと、決めたからだ…