第66章 穢れ
彼のことを言っているのだろう。
助けようとしたが話にならなかった。
悪口と評されて焼け石に水だった。
結果として、ケイトがせめて守りたいと願う家光や奈々も守れず見殺しにする他なかった。
ケイト『葛藤、経緯、事情…
何もなくてそう在る人などいない。
傷付く姿を見て楽しむ感覚の人以外は…
皆、傷がある。
口には出さないだけで…本人にしか知り得ない苦しみがある。
それに塩を塗る真似はしたくない。耐えられない。
罪の意識で押し潰されそうになるから…だから、傷付けたくないし、殺したくない。
理由はそれだけじゃない…
私が…敵のそれが、傷あっての暴走なら…その傷に、黙ってられないんだ。
私の取った行動の内、肉体的か精神的に傷付けた行動が一つでもあれば申し訳なさと罪悪感に苛まれる。負い目を感じずにはいられない。
ただでさえ傷付いてるのに更に傷付けた罪深さに、自分の都合でした勝手さに、その業に…涙が止まらなくなる。
助けが一度さえもなく傷付けられ続けてきた当時の自分と重なって、何とかして助けたい、治したい、力になりたいと躍起になる。
相手を見、きちんとその心や気持ち、都合を聞いて寄り添いたい。その傷に…痛みに、重ねて涙してしまうかもしれない。
けれど、助けになりたい人は、ここにいるぞ!って叫びたい、手を差し伸べたい。押し付けだと嫌がられば引くから…
敵でも誰でも、そう在りたい…
傷付け続ける人しか、助けようとしない人しか、私の周囲にはいなかったから……
だから…まず苛まれない感覚が理解できない、受け入れられない。
傷付けないように常に気を付けてる。それを人によっては媚びていると言われるかもしれない。
でも…そうしないわけにはいかない。しないのは…私の人生への否定だから。こう在りたいと願った私をも、踏みにじる行為だから。
けど、人によって見方も感じ方も違うから…中途半端な所もあるだろうけれど』
彼には彼なりの優しさがある。
ケイトにはケイトなりの優しさがある。
どちらも人を傷付けることがある。
だが、神が求めているのは…ケイトの優しさである。
他人の傷に、痛み、寄り添い、癒し、力になろう、治したい、救いたい、助けたい。そう心から願える感覚、その根幹こそが優しさたると。
真の優しさとは…相手を見ること、合わせることにある。
