第1章 そのときまでおやすみ
「さみーな、もう4月だってのに」
「お昼はもっと暖かいんですか?」
「ぽっかぽかだろ!あーけど朝はまださみーか…」
「へえ」
自転車を押す田中さんと夜道をゆっくり歩く。
昼間の話になってしまったので墓穴を掘らないかすごく心配だったけど、あんまりそういうのを気にする人ではないみたい。
「田中さん!いらっしゃい!」
「こんばんはっす!えーっと…」
「芙弓でいいよ、栞那ちゃんも名前で呼んでるんでしょう?」
「じゃあ芙弓さん、改めてお世話になります!」
「いえいえ。田中さん夜ご飯食べてきた?」
和やかに会話するお母さんと田中さんを少し後ろからぼんやりと眺める。
私はお母さんと栞那さん、それにお父さんと病院の先生くらいしか話す人がいなかった。だから私の世界や時間はそこで完結していたのだけれど…
お母さんは私の眠っている時間も生きていたのだ、と思い知らされる。
私の知らない人、知らない場所、知らない時間。なんだかほんの少しだけお母さんが遠く感じる。
「小夜」
お母さんに声をかけられた。
「お母さん田中さんとお話してるから、その間に部屋の片づけとかしちゃいなさい。田中さんにはお姉ちゃんの部屋で眠ってもらうから、できれば簡単に掃除もお願いね」
「うん、わかった」
「…えいっ」
「!?」
両ほっぺをつままれた。
「な、何…」
「お母さんね、田中さんになら話してもいいと思うの。小夜の身体のこと…悩んでる?」
「…少し。話す機会なんてなかったからどう言ったらいいかわかんないや」
「お母さん、代わりに話そうか?」
顔をあげ、お母さんと目が合う。いつもと同じ、穏やかな優しい目がにこりと微笑む。
「…大丈夫、自分で話す。話したい」
「そっかそっか」
頭をぽんぽんとされる。私ももういい歳なのに、突然のことだったので不覚にも照れてしまった。
「芙弓さん!オムライスめっちゃうまいっす!」
ダイニングの方から田中さんの声がする。
「じゃあお母さんダイニングにいるから」
「うん…」
少し肌寒い廊下で一人になる。
せっかく同世代の人で初めて知り合いになれたんだ。
届いたらいいなと思うけど、そもそも話さないと届くものも届かないんだ。
やるしかない。やり遂げたい。
「…ちゃんと話すんだ、ちゃんと」