第3章 セルリアン・ブルー(怜)
美術室に戻った私は、早速画材の片づけにとりかかった。
今日部活をしにきた当初は水彩をしようと思っていたので、まだ色とりどりの絵の具の広がっていないパレットや透明の水の張られたバケツ、まっさらなボール紙などがそのままになっている。
画材を見ていると、また描きたくなってきてしまった。
時計をちらりと見る。最低でもあと20分はかかると竜ヶ崎くんは言っていた。まだ大丈夫。
「…よし」
抽象画を描こう。今日見た美しい蝶の姿を、色を、時間を、匂いを、感動を忘れないために。
だいぶ仕上がって来た。描き始めてからどれくらい経ったのだろう。そろそろ竜ヶ崎くんが来る頃かも…
「美しいですね」
「ひあっ!?」
後ろから突然声がし、私は思わず小さく跳ね上がった。
「あ、竜ヶ崎くん…」
「お待たせしました」
「ごめんなさい、すぐに片づけるからっ…」
「いいんです、描いてください!」
「え?」
「続き、描いてほしいです」
「でも時間…」
「だいじょうぶですから」
そう言ってにこりと微笑む竜ヶ崎くんの頼みを断れるはずもなく、私は再び筆を取った。
「できました、待たせてごめんね」
「いえいえ。えっと…」
「見る?はい、どうぞ」
竜ヶ崎くんはベニヤパネルの前にかがみ、じっと絵を見つめる。
「これは…蝶でしょうか」
「すごい!よくわかったね」
「青色の蝶…美しいですね、とても」
クロッキーのときと同じように少し目を見開いた後
、とびきり幸せそうな、愛おしそうな顔をした。
「そういえば気になったのですが」
片づけを済ませ、私達は夕焼け色の帰り道を歩いていた。
「ん?何?」
「絵具の中にあったセルリアンブルーのセルリアンとは何のことなんですか?」
「ああ。ラテン語で『空色』って意味なんだって」
「そうなんですか!なんだか…」
言いかけて、竜ヶ崎くんは空を見上げる。
「今日の空の色にもプールの底の色にも似ているなあと思いました」
心臓が高鳴った。
そう、今日描いた蝶は竜ヶ崎くんだったのだ。
空と水の境目を誰よりも美しく泳ぎ舞っていた、彼の姿を描きたかったのだ。
あなたは美しい。
美しい。
けどそんなことを面と向かって言えるはずもなく。
「…そっか」
水で溶いたような淡く優しいセルリアンブルーが、胸の中に広がった。
end**
