第5章 フォーゲット・ミー・ノット(凛)
「落ち着いたか?」
「…うん」
夜も深まり、私がしゃくりあげることもなくなった。
「にしても泣いてる公子さん、少しかわいかったな」
「は!?」
「ははっ、悪ぃ悪ぃ」
「もう…」
さんざん吐露した私だが、まだ凛に伝えたいことがある。深く息を吸って、私は口火を切った。
「あのね凛、もうひとつ言いたいことがあって来たんだ」
「あん?何だよ」
「私と会ったことね、忘れてしまっていいんだよ」
「…は?」
そう、私は凛が一番苦しい時期に出会ってしまった人間なのだ。凛がつらいことを思い出してしまうきっかけになってしまうかもしれない。そう思って、最後に一度だけ会いに来たのだ。
「何言ってるんだよ」
「凛が辛かった時のことを思い出してしまうのが嫌なの」
「そうじゃなくて!」
肩を強く摑まれた。
「俺がいつ辛かったなんて言ったよ…俺は…俺はっ!」
「…?」
「公子さんに救われていたから、俺はまたこうして水泳が出来てる!」
急に少し息苦しくなる。いつの間にか私は凛の腕の中できつく抱きしめられていた。
耳を澄ますと、小さな嗚咽が聞こえた。
「忘れない…」
「うん」
「公子…!」
「ごめんね、凛」
「公子も、俺のこと…」
「忘れない、忘れないよ。だから泣かないで…」
静かに泣く凛の背中を、私はさすり続けた。
「すまねえ、取り乱した」
「私こそごめんね、びっくりさせちゃって」
少しバツが悪そうにお互い言葉を交わす。
「…公子さん、俺あんたのことが好きだった」
「…そう」
「…また、会えるか?」
「…分からないなあ」
気の抜けた笑いが零れ出る。本当はちっとも笑いたくなんかないけれど、それでも。
「凛、私そろそろ行かなきゃ」
「…そっか」
「凛!」
歩き出していた足を止め、とびきりの笑顔をつくって、振り返る。
「笑え!」
凛は少し目を丸くしたが、幸せをいっぱいにのせた満点の笑顔で答えてくれた。
「…元気で、公子さん!」
もう二度と会うことはないのだろう。
振り返りたくてたまらない。
けど、それでも。
それでも前へ進むんだ。
生きろ、生きろ、前へ進め。
どうか、どうか。
忘れないで。
あなたのことが、好きだった。
end**