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恋愛短編集

第9章 ストリーミング・トラップ【元彼】


【Dumb fox】

一人で住むには少し広すぎるこの部屋には、まだ彼の気配が残っている。
洗面所に置き去りにされたワックスや、
クローゼットの奥、彼が勝手に好んで着ていた私の大きめのパーカー。

そして、暗いリビングでテレビをつけるたび、
真っ先に視界に飛び込んでくるデジタルな残骸。
 
『視聴するプロフィールを選んでください』

画面には、私のアイコンの隣に、彼の名前が並んだままだ。
 
別れてから数ヶ月。
自分で振ったあの日から、この部屋の主は私一人になったはずだった。
それなのに、彼が契約していた動画配信サービスは、今も解約もログアウトもされずにここで生きている。
 
ただ、少し覗くだけのつもりだった。
履歴を残さないように戻ろうとした指が滑り、私はよりによって、あの映画の再生ボタンを押し込んでしまった。
 
警官のウサギと、詐欺師のキツネ。
 
二人で何度も何度も繰り返し観た、私の大好きな映画。
それは部屋のBGMのようにいつも流れていた。
もしかすると、私たちが異様に再生数を上げていたのではないかと思うくらい、常にそれがテレビに映し出されていた。
 
続編が公開されたら一緒に見に行こう、そんな約束。
けれど、公開日よりも前に私は彼を追い出した。
些細なすれ違いだったのかもしれない。

ひとりでも見に行けばよかった。
でも、映画館に足を運ぶことはなかった。
 
あの日から一度も観ていなかったのに、画面に光が灯った瞬間
すべての記憶が鮮明に蘇る。

次に流れる旋律、登場人物の微かな呼吸、カメラが切り替わるタイミング。
セリフも、音楽も、映像のカットも、
そのすべてが、かつて隣にいた彼の体温や匂いと結びついて、
私の記憶の中に完璧に保存されている。
 
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