第8章 髪を切ったら、“知らない恋”に捕まった【美容師】
「でも……あんな嘘までつかせてしまって、本当にすみません。一目惚れとか、運命とか……」
私が恐縮していると、拓海さんは珈琲カップを置いて、じっと私を見つめた。
そして、悪戯っぽく瞬きを2度繰り返した。
「嘘って、どれのこと?」
「え……?」
「一目惚れしたのも、昨日ずっと君のこと考えてたのも、運命だと思ったのも」
拓海さんはテーブルの下で、私の手をそっと握った。
大きくて、昨日髪に触れてくれた時と同じ、心地いい温度。
「全部、本当だけど?……だから、逃げないでくださいね」
そう言って、拓海さんは私のドタイプな顔で、ふにゃりと甘く笑った。
――どうやら私は、とんでもない男に助けを求めてしまったらしい。
「……さて。じゃあ、まずは絆創膏、買いに行こっか。
大丈夫。ちゃんと好きにさせるんで。ね、アズサ」
――心臓が、跳ねた。
アズサ
私の名前。
まだ彼に、名乗ってなんていないのに。
受付のカルテを見たのか。それとも、さっきのやり取りの中でスマホの画面を覗き見たのか。
どちらにせよ、彼が私を見つけるよりずっと前から、私のことを「知っていた」のだとしたら。
驚きよりも先に、熱い何かが全身に駆け巡る。
彼が「見つけた」と言った、その言葉の本当の意味を考えて、私は動けなくなった。
まさに今、私はこの“知らない恋”に、逃げ場を塞がれたのだ。
-end-