第5章 冬へ…
霧が晴れる頃に 117話 アクシデント
慶が一礼し、仁達の方を向く。
仁はすでにピアノの前に座り、楽譜を置いた。
さっ、と慶が指揮棒を構えると右足を一斉に開き歌う体制になる。
仁と慶が目を合わせると慶の指揮棒に合わせて前奏が始まる。
強弱に気をつけ…テンポは慶の指揮棒を頼りに弾いていればすぐに歌が入ってくる。
大抵伴奏曲というのは歌詞のところに入ってしまえば単調な音を繰り返すのみ、難しいのは前奏と間奏だけだ。
仁は淡々と伴奏を続けながら自分のクラスの歌を聴いた。
仁の位置からでもわかる、林の声が一段と体育館に響き渡る。
(この人数の多さで聴こえるなんてな、声量すげぇな)
そんなことを思っているとやがて1番が終わり間奏に入る。と、そこで仁は気付いた。
楽譜が無い。いや、落ちたのだ、視線を床に落とすと視界の隅に椅子の脇に落ちた楽譜が移る。
(どうするっ!暗譜はしてない…一瞬伴奏を止めるかこのまま確証の無い暗譜をするかだ…)
そうしていくうちに間奏は無事終了し、2番の歌詞へ入る。
単調な音は楽譜をみてならやりやすいが、特徴がないため覚えにくいのだ。
記憶を辿るが曲が進むにつれドンドン音に自信がなくなっていく。
(っ~~~~!!)
助けを求めるように辺りを見回すと音が変わったのに気がついた慶がこちらを見ている。
そして何か伝えたい事があるような目で仁を見つめてきた。
すると慶の指揮棒が少しずつ少しずつ、テンポが遅くなっていく。
(この先…確か2分休符がある、そこで取れってことか!?慶!)
慶のわずかに遅くなった指揮棒に合わせ、歌も伴奏も少しだけ遅くなった。
2分休符前最後の音符を引き終えた。
手を伸ばし楽譜に手が届く…