第4章 俺の守りたいもの…
店へ連れ戻された斗和を見た瞬間、やり手婆が怒鳴った。
「お前! 足抜けしようとしたね!?」
「違います。ちょっと厠へ――」
「言い訳するんじゃない!」
手にした細い棒が、斗和の背を打った。
パシンッ。
「……っ」
斗和は眉ひとつ動かさない。
「まだ分からないのかい!」
もう一度。
肩、腕、背中。
乾いた音が部屋に響く。
「勝手に店を抜けるなんて、どういう了見だい!」
「……申し訳ありません」
「その顔が気に入らないんだよ!」
棒が振り下ろされる。
それでも斗和は俯いたまま、黙って耐え続けた。
(ここで怒ったら怪しまれる)
痛みなど、任務を守ることに比べればどうということはない。
だが――。
「……何なんだい、お前」
やり手婆の手が止まった。
怒っているはずなのに、斗和の顔には怯えも涙も浮かばない。
「怖くないのかい?」
「……怖いですよ」
「だったら、その顔は何だい!」
斗和はゆっくり顔を上げた。
「……こういう顔なんです」
その目に、ほんの僅かな光が宿る。
やり手婆は思わず一歩下がった。
「……もういいよ」
「え?」
「今度は許さないからね!」
そう吐き捨てるように言い、斗和を部屋から追い出した。
斗和は一礼して去る。
その背中を見送りながら、やり手婆は小さく呟いた。
「……あの子、何なんだい……」
その一部始終を、二階から見下ろしていた蕨姫花魁は不機嫌そうに眉を寄せた。
「……気に入らない」
その夜。
やり手婆は堕姫の部屋へ呼び出された。
「どうして、あの女を逃がしたの?」
「も、申し訳ありません……」
「あなたが勝手に決めることじゃないでしょう?」
堕姫の冷たい声が響く。
そして翌朝――。
やり手婆は二階の窓から転落して死んでいた。
「……自殺らしいよ」
店の者が噂する中、斗和だけが二階の窓を見上げていた。
(……違う)
あの女が、自分から飛び降りたとは思えない。
斗和の視線の先。
窓辺に立つ蕨姫花魁が、薄く笑っていた。