第3章 『誤差る』
少し離れた場所を、白衣姿の男が歩いていた。
湯川は本来、経済学部棟に用事などなかった。
大学本部へ提出する書類があり、その帰り道としてたまたま通りかかっただけだ。
そこで、聞き覚えのある声がした。
「……最近さ、変な先生と知り合ったんだよね」
足が止まった。
聞こうとしたわけではない。
ただ、聞こえただけだ。
「理工学部の」
「…………」
湯川は僅かに眉を寄せる。
──星宮君だった。
いつもフルートを吹いているときとは違う。
友人らしい女子学生と並んで座り、カフェオレを飲んでいる。
笑っている。
ごく普通の大学生だった。
「物理学科の准教授。湯川先生っていう──」
「え!? 湯川先生!?」
「…………」
湯川の眉間に僅かに皺が寄った。
随分と大きな声だ。
これ以上聞くつもりはなかった。
しかし、
「私がフルート吹いてると、たまに湯川先生が来る」
「何しに!?」
「知らない」
「本人は、たまたま通りかかっただけって」
「…………」
正確な説明だ。
湯川はそう判断した。
「それ、本当にたまたま?」
「たまたまでしょ」
「…………」
何を疑っている。
再び歩き出そうとした、そのとき。
「向こうから話しかけてきた?」
「最初はそう」
「はあ!?」
足が止まった。
「その日、同じところ十七回吹き直してたって」
「数えてたの!?」
「うん」
「湯川先生が!?」
「そう」
「……そう考えると、やっぱりちょっと変だよね」
「…………」
失礼な、湯川はそう思った。
そして、
「あんた、それ狙われてんじゃないの?」
「…………」
数秒──
完全に思考が止まった。
「誰に?」
「湯川先生に!!」
「いやいやいやいや。ないない」
即座に否定する彼女の声。
なぜか、それを聞いた瞬間──、
湯川は僅かに眉を寄せた。