第2章 『観測る』
それから数十分、湯川先生は帰らなかった。
ずっと隣にいたわけではない。
少し離れたベンチに座り、持っていた書類を読み始めただけだ。
私は練習する、先生は論文らしきものを読む。
時折、ページをめくる音がする。
それだけ──、会話はない。
妙な時間だった。
普通なら、誰かに聞かれながら個人練習をするなんて落ち着かない。
ましてや相手は教授だ。
それなのに、
何故か嫌ではなかった。
しばらくして、一曲を最後まで吹き終える。
「…………」
私はフルートを下した。
そして、ゆっくり息を吐く。
「さっきより良くなった」
不意に声がした。
「え?」
顔を向ける。
湯川先生は、書類から顔を上げてすらいなかった。
「最初よりテンポの揺れが少ない」
「……聞いてたんですか?」
「聞こえていただけだ」
「またそれ」
「事実だ」
思わず笑ってしまう。
「じゃあ、そういうことにしておきます」
返事はなかった。
けれど──、
ページをめくる音もしばらく聞こえなかったことに、
その時の私は気づかなかった。