第1章 第一話
そろそろ練習開始が迫っている。他の者たちもそろそろこの廊下を通りかかる頃合いだ。を早くここから遠ざけねば彼女が規則違反で罰されてしまう。
名残は尽きない、この時間を手放したくない。それでも己の理性がこの時間に終止符を打たなければと言い聞かせていた。
「……」
サッカーボールを受け取るためにの方へと手を伸ばす。がおずおずと鬼道の元へ歩み寄った。間近で見ると彼女の愛らしさがなおのこと際立った。
走っているときの存在感を思うと意外だったが、こうして見ると彼女はとても小柄で華奢だった。サッカーボールを差し出したその手はしなやかで細い。
漂う仄かな甘い香りは彼女のものか、そう思うとどんな風に呼吸をしていればいいのかまたも分からなくなる。
の瞳が平静を取り繕う鬼道を見つめる。闇一色でありながら、精彩な感情に色づけられるその眼を未練がましく覗く。彼女との接近は最後になるかもしれない。……じくじくと勝手な感情で痛む胸を誤魔化しながらボールを受け取ろうとした時だった。
「……」
の瞳に一抹の寂しげな色が滲む。鬼道を見つめていたその目は伏せられ、きゅっと彼女の唇が固く結ばれたのをつぶさに感じ取る。
……錯覚かもしれない。だが、もしかすると彼女もこの時を名残惜しいと感じてくれているのかもしれない。推察が至ると鬼道の心に激情が押し寄せた。
彼女が願ってくれるなら……。もしも彼女も俺と同じ気持ちなのだとしたら。
これは千載一遇のチャンスだ、逃すわけにはいかないと強く駆り立てられる。立場も責任もこの感情に比べれば、酷くちっぽけなものだった。衝動に身を任せ、鬼道は緊張に汗ばむ手での持つボールに触れる。
「お前さえよければ……、少し練習を見ていくといい」
渇いた喉に張り付いた言葉が勢いのまま押し出される。すべてが始まった瞬間だった。