第1章 第一話
「帝国一足の速い女のことを俺が覚えていないわけがないだろう」
このくらいなら不自然じゃないか。学年主席として、帝国学園の生徒の中でも上に立つものとして。帝国を統べるなら当然のことだと、だから彼女を知っているのだと言わんばかりの言葉を鬼道は選ぶ。
以前から見ていた、話をしてみたかった。そんな個人的な感情を俺が抱いている事実を公にするのは得策とは言えない。特に誰が聞いているかも分からないこの場では。鬼道はそう考えた。
「……っ」
些細な言葉を、選んだつもりだった。しかし鬼道の意図に反して彼女は、鬼道の言葉に大きく表情を変える。先ほどまで感じていたわずかな警戒がすべて取り払われ……、彼女の素顔が鬼道に初めて向けられた。
大きな漆黒の瞳が鬼道を見つめて星のように瞬く。小さく震えた桜色の唇が自然に弧を描いた。これまで薄かったの本心が鮮やかに表出されている。鬼道の言葉一つで、彼女は限りない喜びを映して見せた。
柔らかな微笑みは鬼道の想像を凌駕していた。全身が震えあがる感覚がして、鬼道はその微笑にすべてが飲み込まれてしまいそうになる。目が離せなかった、頬が熱に燃えて。鬼道は今まで自分がどうやって呼吸をしていたのか分からなくなる。
彼女が今、初めて本当の意味で自分を見てくれた気がした。
シュートを決めた後のように心臓が早鐘を打っている。胸の痛みを堪えながら鬼道はの瞳に見惚れていた。
帝国学園の冷たく無機質な廊下の陰での存在だけが鮮やかな色を放つ。冷徹な電光の明かりのもとでも彼女だけは世界の中で温度を持っていた。
手を伸ばして、触れたら……。衝動的な感情を鬼道は必死に抑え込む。
「……あ、ありがとう、ございます」
彼女が優美に礼をして鬼道に言う。たおやかなその髪が流れるように彼女の肩から落ちた。その髪を整えてやりたい気持ちに駆られながらも、鬼道は彼女の視線が逸れてやっと落ち着きを取り返す。彼女が深々と頭を下げている間に、呼吸を整えあるべき鬼道有人の姿を取り繕う。
……まだ彼女との時間を得たい。しかし……。