第1章 第一話
彼女が立っていたのはサッカー部以外通行禁止の廊下だった。つまりはが本来いてはならない場所だということだが……、鬼道はそんなことはどうでもいいと思った。彼女をこの目に映すだけで異様に緊張が膨らんでいく。
大きく拍動する心臓を抑えながら、彼は至って冷静を装いに言葉を掛けた。
「……こんなところで何をしている」
彼女の瞳が初めて鬼道を捉える。彼女の眼差しが向けられた瞬間、それだけで熱く激情が体の中に流れ込んでくるのを感じた。
長い睫毛に縁どられた、大きな瞳はその艶やかな髪と同じ色をしていた。まるで夜の海のように深い色を宿し、じっと鬼道を見つめ返す。静謐さの中に少しだけ警戒と緊張を孕んでいるように見えた。
「鬼道、さん」
桜色の唇が微かに動いて彼の名を呼んだ。
ずっと聞きたいと願っていた彼女の声は、想像よりもはるかに清涼でどことなく甘い響きをしていた。心が何かに打ち震えるのを感じ、鬼道は汗ばむ手を握りこむ。どんな言葉を続けようかとシミュレーションしていた思考が一気に吹き飛ぶ。
彼女が俺を知っていてくれた。そんな些細な事実が驚くほど鬼道の心を舞い上がらせた。しかしそれを表出するまいと息を呑み、一呼吸おいて彼は口を開く。
「ここは……、サッカー部の者以外は通れないはずだが」
黒曜石に似た瞳の色を眺めながら、試合の流れを読むよりも慎重に鬼道は言葉を選ぶ。
彼女が俺の名を知っているのなら、おそらくは俺の立場も知っているのだろう。鬼道はそう推察していた。帝国学園サッカー部をまとめ、指導者としての立場に立つ自分を。
想像していなかった展開に自分がどう立ち回るべきかを鬼道は必死に考える。できることなら彼女を威圧したくはない。ここで彼女に出会えたチャンスを逃すわけにはいかなかった。
俺は理由を知りたいだけだ、その気持ちが伝わるようできる限り柔らかい声色で彼女に問いかけた。