第3章 第三話
グラウンドに踏み込んで、彼女のもとに近づきたい。胸の奥から込み上げてくる衝動を必死に抑え込んで冷静を装う。余裕を保つために腕を組み、静かに彼女を見据える。あくまでも彼女の行動を待つことに徹した。
胸の前で両手を握り締める彼女の中には何やら大きな葛藤があるようだった。一度鬼道を見て、彼女の視線は地面へと逸れる。その瞳には……、鬼道の視線が向けられているのが本当に自分だったのかと、信じきれぬ戸惑いが揺れていた。
数十秒か、あるいは数分か。鬼道にとっては長い間をおいてから、ようやく時間が動き始めた。が足を踏み出し彼の元へと駆け寄る。
「鬼道さん……っ、お疲れ様です」
の表情には隠しきれない困惑があった。白い頬が薄桃色に色づいているのは走った直後だからか。彼女は軽く頭を下げながら鬼道を見る。
彼女は汗で濡れた髪に手をやり、さりげなくもしきりに前髪を整えようとしている。……よく見る彼女の仕草だった。鬼道の前に立つとはよくそうやって顔を隠す。いつだって彼女の緊張は明らかだった。
「……ああ」
これ以上彼女を委縮させたくはない。鬼道は注意深くの表情や仕草を見つめながら、努めて穏やかに彼女に言葉を掛けた。
「……いい走りだったな。速く、それでいて何者よりも美しい走りだった」
少し大げさに感じる言葉選びだったか。だが、嘘でも偽りでもない言葉だ。これ以上の賛辞を求めるのならばいくらでも出てくるが、これ以下は存在しない。
心のままに思っている言葉を鬼道は告げる。手放しに彼女が喜ぶだろうとは思わなかったが、わずかにでも表情を和らげてくれるのではないかと期待した。
「まさか、見に来てくださったのですか……?」
微かに震えた声を鬼道は肯定する。大きく見開かれた目には信じがたいものを見たような揺らぎが存在していた。
「そうだ。お前の走りを見に来た」
しかしながら鬼道の思惑通りに事は進まない。鬼道の言葉を受け、は見る見るうちに表情を強張らせた。両手を強く胸に押しあてて、彼女は鬼道から視線を背ける。