第14章 伏黒甚爾
【赤ちゃん】
「…赤ちゃんが、できたの」
その一言で、部屋の空気が止まった。甚爾は何も言わない。ただ、ロロの顔と、震える手に握られた検査薬を見つめていた。長い沈黙のあと、甚爾は目を伏せる。
「…そうか」
それだけだった。喜びも、驚きも見せない返事に、胸が締めつけられる。
「ごめんね」
思わず漏れた言葉に、甚爾は眉を寄せた。
「謝るな」
「でも…私、この子を産みたい」
その瞬間、甚爾は苦しそうに笑った。
「…俺は、ロロ達の隣に立てるような人間じゃねぇ」
「そんなことー」
「ある」
遮る声は、静かだった。
「俺は今まで、守るべきもんをまともに守れたことがねぇ。俺の隣にいたら、不幸になる」
その横顔があまりにも寂しくて、ロロは涙をこぼした。
「じゃあ、この子は?」
そっと自分のお腹へ触れる。
「この子は、父親を知らないまま生きるの?」
甚爾は答えない。拳を握り締めるだけだった。
「きっとね、この子は甚爾に似るよ。少し不器用で、誰よりも優しくて」
「優しくねぇよ」
「ううん」
ロロは甚爾の頬へ手を添える。
「優しい人ほど、自分を許せないんだよ」
その言葉に、甚爾の瞳が揺れた。やがて甚爾はロロを抱き寄せる。力強い腕なのに、今にも壊れてしまいそうなくらい弱々しい抱擁だった。
「…怖ぇ」
初めて聞く本音だった。
「失うのが、怖ぇ」
ロロは静かに甚爾の背中へ腕を回す。
「私も怖い」
未来なんて分からない。幸せになれる保証なんてどこにもない。それでも、お腹の中では小さな命が確かに生きている。その鼓動だけが、生きたいと2人に語りかけていた。甚爾は震える手でロロのお腹へ触れ、小さく呟く。
「…頼む」
それが誰への願いだったのかは分からない。神なのか、運命なのか、それともまだ見ぬ我が子なのか。ただ1つだけ確かなのは、あれほど何も望まなかった男が、初めて失いたくないと願った夜だった。