第7章 狗巻棘
【グランギニョル】※死ネタ
古びた劇場の舞台袖。ロロは赤い緞帳を見上げて、小さく笑った。
「狗巻先輩」
「しゃけ」
狗巻はロロの隣に立ち、首を傾げる。
「グランギニョルって知ってますか」
「…おかか」
「残酷な舞台のことです」
照明の落ちた客席を見つめながら、ロロは呟く。
「誰も幸せになれない物語」
狗巻は黙ってロロの手を握った。冷えた指先を、温めるように。
予想を超える一級呪霊。逃げ遅れた一般人。ロロは迷わず飛び出した。
「しゃけ!」
狗巻の声が背中で響く。振り返らない。次の瞬間、呪力が弾け、視界が白く染まった。
「…っ!」
目を開けると、狗巻がロロを抱き起こしていた。制服は血で濡れ、震える手がロロの肩を支えている。
「すじこ…!」
掠れた声。無理に呪言を使ったせいで、喉から血が伝っていた。
「…狗巻先輩、また無茶しま、したね…」
「…しゃけ!」
必死に首を横へ振る。違う、と。そんなことを言うな、と。
「…私」
息をするたび胸が痛む。
「…最後まで、ちゃんと演じられ、ましたか?」
狗巻の瞳が揺れた。
「おかか…!」
そんな舞台なんて認めない。その叫びが、言葉にならないまま伝わってくる。ロロはそっと彼の頬へ触れた。
「…幕が閉じて、も…」
狗巻は何度も首を振る。
「…忘れないでくだ、さい…」
その手が、力なく落ちる。静寂。劇場から音が消えるように、世界が止まった。狗巻は動かなかった。冷たくなった手を、両手で包み込む。やがて震える唇が、小さく動いた。
「ー眠るな」
呪言だった。喉が裂ける。血が溢れる。それでも狗巻は叫ぶ。
「起きろ」
何度も。何度も。声が枯れても。呪力が尽きても。舞台は静かなまま。幕は、ゆっくりと閉じていく。額を合わせた。
「…しゃけ」
その一言だけが、最後に零れた。それは「大丈夫」でも、「行かないで」でもない。言葉にならないほど大きな想いを、たった1つのおにぎりの具に隠した、狗巻だけの泣き声だった。劇場には拍手は響かない。残ったのは、幕が閉じたあとも1人、舞台から動けない役者だけだった。