第5章 伏黒恵
【螺旋階段で】
螺旋階段の踊り場。月明かりだけが、静かな空間を照らしていた。帰るはずだったのに、伏黒はなかなか歩き出さない。
「…恵?」
呼ぶと、伏黒は少しだけ目を伏せた。
「…さっき、ロロが言ったこと」
「好きって?」
「ああ」
伏黒は言葉を探すように黙る。いつもなら迷わず答えを出す伏黒が、珍しく困っていた。
「俺はこういうの得意じゃない」
「知ってる」
伏黒は繋いだ手を少しだけ握り直した。
「ロロが不安になるのは嫌だ」
その一言に、胸が温かくなる。
「だから」
伏黒は静かにこちらを見る。
「ちゃんと伝える」
不器用だけど、まっすぐな瞳。その距離が少しずつ近づいていく。
「…目、閉じろ」
言われた通りにすると、すぐそばに伏黒の気配を感じた。触れるだけの優しい時間。短いのに、心の奥まで届くような温もりだった。離れた後、伏黒は少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
「…何で笑ってる」
「嬉しいから」
「…そうか」
「恵も嬉しい?」
「…ああ」
小さな返事。でも、今まで聞いたどんな言葉よりも優しかった。
「もう一回って言ったら?」
そう聞くと、伏黒は呆れたように息を吐く。
「欲張りだな」
「だめ?」
「…だめとは言ってない」
そう言って、伏黒は少しだけ笑った。冷たく見える表情の奥にある、誰よりも優しい部分。それを知っているのは、ロロだけでいいと思った。螺旋階段はただの古い階段だったはずなのに。今では、伏黒との大切な思い出の場所になっていた。