第9章 【第八話】記録者の選択
「……何でもないの」
そう答えて、私は小さく微笑んだ。
自分でも分かるほど、上手く笑えていなかった。
リナリーは何か言いたそうに私を見た。
けれど、それ以上は問い詰めず、ただ隣にいてくれた。
私はそっと、窓の外へ視線を逃がす。
灰色の空から細かな雪が降り始めていた。
昨日までは、ラビは変わらず私の傍にいた。
何でもない顔で笑い、少し前には、当然のように私の分の林檎を剥いて。
歩調が遅れれば足を緩め、私が傷付けば、隠しきれない顔で前へ出た。
そして私は、そんな彼を、嫌いではないと告げた。
それだけだったはずなのに。
今朝は、伸ばした指先だけが、見えない壁へ遮られるみたいに届かなかった。
彼が何を記そうとしているのか。
何を切り捨てようとしているのか。
私には、まだ分からない。
昨夜の言葉どおり、自分の中に生まれてしまった願いを、捨てようとしているのか。
それとも、そのために私ごと遠ざけようとしているのか。
冷えかけたハーブティーの水面へ。
窓の外から降り続ける雪が、静かに映り込んでいた。