第9章 【第八話】記録者の選択
「……ラビ」
「ん?」
「今のあなたは、生きてるって感じがする」
ラビの手が、僅かに止まった。
「……なんさ、急に」
「初めて会った頃のあなたは、綺麗に笑うのに、どこか遠かったの」
私は林檎を一口かじる。
甘い果汁が、喉の奥へ落ちていく。
「笑っているのに、その奥だけ、ずっと乾いてるみたいだった」
ラビは何も言わなかった。
けれど、ナイフを持つ手が動きを止めたまま、こちらを見ている。
「でも、この間の雪原で……あなた、すごく不器用な顔をしていたわ」
「……忘れてくれよ、それは」
「忘れないわ」
私は静かに笑った。
「ラビって、もっと器用に生きる人だと思ってた」
からかうように言って、それから少しだけ目を細める。
言葉にするのは、怖かった。
今まで私は、こういうものを胸の奥へしまい込むことが多かった。
母のことも。
アンナのことも。
言葉にするより先に、自分の中で抱えてしまう。
けれど。
彼が私のために不器用になってくれたのなら。
私も、一度くらいは。
胸の奥にあるものを、ちゃんと言葉にしたかった。
「でも、そういう不器用なところ……嫌いじゃないわ」
言い終えて、少しだけ息を止める。
初めて、誰かへ向かってそう口にした。
ラビは、暫く動かなかった。
剥きかけの林檎を持ったまま。
まるで、その言葉の意味を上手く掴めないみたいに。
やがて、その口元がゆっくりと笑みの形を作る。
けれど、それは。
いつもの、人懐こい笑みではなかった。
「……そういうの」
低く、掠れた声。
「オレに言うなよ」
笑おうとして、笑いきれていない声だった。
「え……?」
「なんでもねぇさ」
ラビは視線を逸らし、林檎を皿へ戻す。
その横顔から、先ほどまでの温度が静かに引いていく。
「ラビ?」
「……あー、そういや報告書、まだ書けてねぇんだった」
彼は思い出したように立ち上がる。
「コムイに催促される前に片付けとかねぇとな」
さっきまで、あんなにゆっくり林檎を剥いていたのに。
「傷、ちゃんと診てもらえよ」
背を向けたまま、そう言い残す。
私の返事を待たずに、ラビは医務室を出ていった。