第7章 【第六話】この世界に繋ぎ止めて
「ティファ……」
アンナは、覚えたての言葉を確かめるように、私の名を繰り返した。その声があまりにも頼りなくて、喉の奥が痛む。
ベッド脇の小さな台には、泥を落とされた布人形が置かれていた。
何度も縫い直された跡のある、古びた人形。
――あの村で、アンナが最後まで握り締めていたもの。
私はそれをそっと取り、彼女の手元へ戻した。
「これは、あなたが大切に持っていたものよ」
アンナは、不思議そうに人形を見つめた。
小さな指が、ほつれた縫い目へ触れる。その顔に、懐かしさは浮かばなかった。
「わたしの……?」
「ええ」
「……知らない」
その一言が、刃のように胸へ刺さった。
アンナは人形を拒むわけでもなく、ただ、知らないものを渡されたように眺めている。
毛布の端を握り締め、不安そうに眉を寄せる。
「わたし……どこから来たの?」
答えようとして、言葉が喉につかえた。
村の入口に立っていた、名の消えた標識。顔を失った肖像画。墓標から抜け落ちた人々の名前。
教会の鐘の下で、黒い糸に縛られていた死者たち。
そして、アンナへ手を伸ばしながら、白い光の中へ還っていった女性の魂。
全部、私の中には残っている。この子に返せるものは、一つもないのに。
「……遠い場所よ」
それが、精一杯だった。
アンナは小さく首を傾げる。
「わたし……ひとりなの?」
私は彼女の手を包む指に、ほんの少しだけ力を込める。
「今は、ひとりじゃないわ」
アンナは私の手を見た。それから、布人形へ視線を落とす。
閉じていた唇が、頼りなく開いた。
「おかあさん、って……」
心臓が強く打った。
「……ええ」